自分のひとつの判断基準。
「自分の歳と同じおじさんは、どんな人物だろう・・・」と考えてみる。
例えば、「50歳の大人とはどういう人なんだろうか」とそのイメージをたくさん書き出してみる。さらに、その書き出したイメージを”どうしてそう思うのか”と深掘りしてみるとよりイメージしやすくなる。
おじさんだなあ→どんなおじさん?→思慮深くて相談すると的確に答えてくれる人→時間管理が上手で仕事もプライベートも充実させている人。
自分がその書き出した人物像になっているかどうか、そこを比較する。これがひとつの基準。
さらに、今度は自分よりも優れているなぁと思う人をイメージする。尊敬する人でもいい。その人と自分を比較した時に、出来ていることと出来ていないことが見えてくる。今度はそれを埋めるために何をすればいいか考える。
もちろん真似するわけではなく、自分が補ったほうがいいと思うことにフォーカスする。
そうしていくと”年相応かどうか”、”思い描く生き方ができているかどうか”の判断がひとつできる。不足していることが多くても構わないが、自分の足りないところを見えるようにしている方が自分の場合はいい。
20年くらい前は、「なんとなく仕事をしていて、このままでいいのか」と自問自答していた。理由のない不安もあった。
その時に感じたのは”今の状態を変化させることなく、ただただそのまま過ごしてしまうことはまずい”ということ。
仮にそのまま10年を過ごしてしまったら、10歳をとっているのに中身がついてきていないということになる。努力をしてこないツケは気づいてからでは遅いと考えた。
年相応に生きているか、常に自分を律しながら常に人として上を目指したい。
こういった意識はきっと大切だと思う。人は、「イメージした以上の人には、なれない」と思うから。
かといって・・・自分がそのような人物になれているかと言えば、まだまだ努力が足りないことだらけだと思う。でも、足りないところに気づいているだけいいかな。
さあ、明日もきっといい1日になる!