今日も絶好調!

自分はできない、と思ってる?

あの人はできるなぁ、
ああやってうまくできたらいいなぁ、
あれぐらい速く走れたらいいなぁ。

人はいろいろ自分との比較をして生きています。
それは物の考え方であったり、物事を進めるときの思考方法であったり。
「どうも自分は他の人と違うようだ」と思うことってありますよね。
何だかずれてるような・・・。
でも実はそれって自分が光るポイントだったりします。
どういうことかというと、他の人と比べて他の人がやっていることが自分にできないとしたら、それは他の人の普通であって、自分にとってそれができないことを別にコンプレックスに思う必要はないと思います。
なぜならもっと違うやり方を自分はできるかもしれないから。
他の人のやり方が正しいとは限らないから、自分は違うやり方を思いついたならそれを精一杯やってみたらいいと思います。
ただその挑戦は、年齢が若いほど良くて、自分の経験だと20代にもっといろいろ試しておけばよかった。
なぜなら、失敗してもその先の時間があるし、いくらでも修正が効くから。
仕事に忙殺されていた記憶しかないです。

以前このブログにも書きましたが、自分が27歳の時に、ある会社の37歳の専務から
「君の時間くれよ。俺はいくら時間があっても足りないんだ」
と言われた話を書いたことがあります。
このことをいつまでも忘れないのは、自分が37歳になったときに全く同じことを感じたからです。
いろいろなチャレンジをしたり、いろいろな失敗をすることは、その時は面倒だし、できれば避けたいと思うこともありますね。
でも、どうしてもチャレンジしたほうがいいんです。
それが後になって自分にとって必要なチャレンジだったとか失敗だったことがわかるのであって、やる前からいろいろ考えすぎないほうがいい。
やらなきゃわからないことがあるから。
楽をして、自分のスキルを上げることなどできないと思います。
頭で考えているうちはたいしたことをできないから。
自分の経験したことの量なんて本当に大したことはない。
それでも、できるだけ若いときにはいろいろなことに目を向けて自分でチャレンジしたほうがいい。
残念ながら若い時に楽をしてしまうと、歳を重ねていった後に頑張ろうと思っても頑張れないと思う。

もうひとつ。
量より質という言葉を使える人は、本当に量をやった人が言えること。
そこまでなかなか量が足りていない、というのが事実じゃないだろうか。

働き方改革という言葉も引っかかっています。
これもまた本当に量をやった人でなければ、質を語ることはできないから小手先だけでやろうとするとうまくいかないことがあります。

年配者は若いときに苦労したほうがいい、といいますがその本質はやはりその本人が感じなければ動かないんですよね。
鵜呑みにしてでもいいから一生懸命もがくとそれはやがて自分の柱になるだろう。

「あの時やっておけばよかった」

これはいろいろな人が言うけれど、そのレベルは違うと思う。

一生懸命もがいて、まだ走っている途中だけどその言葉が出てきたのであれば、その先はつながっていくと思う。
やることが明確になっているでしょうから。
でも単純に反省として言うのであれば、そこから先も苦しみながら動かなければならないはずです。
これは大変なことです。
いやになることもあるでしょう。
そういう自分も確かに会社の中では頑張った方だと思うけれども、しょせん会社という仕組みの中の話。
”世の中”という基準で考えたときにどうなのかを考えると、まだまだ全く努力不足だと感じる。
自分に足りていない事は、自分でしか補えないからそのことを理解して懸命に取り組むしかない。
人生は思っているよりも短く、自分ができることというのは思っているよりも少ない。
だから、もがいて自分なりの答えを求め続けることが必要だと思う。

・・・まだまだだなあ。

さあ、今日もいい1日にしよう!

-今日も絶好調!