今日も絶好調!

自分が持てる荷物の量は決まっている

蒸し暑いですね。
タチアオイの花があちこちで咲いていますね。
一番先まで咲くと梅雨明けになると言われていますが、昨年も一昨年も本当にそうなりました。
今年も楽しみです。
最近の陽気からするとなんだか今年は狂うのでは?と思ったりしますが。
花でいうとアジサイもあちこちで咲いていますね。
いい季節です。

今日、ふとこんなことを考えました。
毎日いろいろな仕事が舞い込んできて有難いけれど、捌ききれてないなあ、と。
仕事があるというのは有難いことです。
でも、自分のキャパを超えている。
反面では、仕事をしていないんじゃないかと見られている節もある。
仕事の見せ方の問題かもしれませんが、元来仕事してるアピールが大嫌いなのでまあいいんですが。

そうは言っても、自分のキャパを超えるということは誰かに迷惑をかけるということになり、それはそれで自分が嫌いなことです。

「人の役に立つのはいいが、迷惑はかけてはならない。」

実際には両手に余るほどのいろいろがあり、まさに手一杯。
でも、その中のいくつか、または全部を降ろさなければ、新しい荷物は持てません。

なにかを手放さなければ新しい何かは入ってこない。

それはそうですよね、両手がふさがっているのに新しいことはできるはずがないですから。
一気にいろいろな大きなことをやっつけながら、スキマで小さなことを片付けていく。
そうすることで、手が空いてくるので他のものも持てるようになる。
そういうイメージを持ちながら仕事をすると不思議と整理がつくものです。

あれもこれも・・・ああもうダメだ。

というイメージを持つと、こんがらがった糸のようにまったく先が見えてきません。
さらに、そのときの表情というのは他から見たらとても嫌な顔をしていると思います。
そんな顔をしている人に、誰か声をかけようとするでしょうか。

「なんか難しい顔をしてるからあとにしよう」

となると思います。
何だかもったいないですよね。
難しい顔をしていてはいけません。
来るものも来なくなりますからね。

運というのは、両手が空いている状態でキャッチするもの。
そしてそれは自分がイメージしているもの以上にはならないと思います。
もうひとつ言えるのは、そこに笑顔がないとダメでしょう。

笑顔でいろいろなことに向かえば、おかしくなることはないですよね。
そしてもうひとつ。

「自分は運がいい!」

と毎朝声に出して唱えること。
そうすれば、運がいい自分が出来上がっていきます。
きっとよくなる、必ず良くなる、という呪文も使えます。

さあ、今日もいい1日にしよう!

-今日も絶好調!