今日も絶好調!

幸せと不幸せとは?

「幸せと不幸せって何でしょう。」

と聞かれたら何と答えますか?
実は一対のもの、だったりすると思います。
まあ、モノの見方なんですけど。
幸せだなあと思うことというのは、例えばずっと幸せなことばかりあったらきっとそれを幸せと感じなくなってしまうのではないでしょうか。
人の感覚ですからね。
例えば、お金に困らない人がいたとして、何でも手に入るし、少なくともお金に困ることはない。
さらにイケメンで性格もよかったら、文句なしです。
でも、実際そういう人が本当にしあわせかといえばそうでないこともあります。
心が満たされなければ、人は幸せと認識できないからです。
少しの不幸せがあれば、幸せを認識するかもしれませんね。
何でもできるのですが唯一、歌だけはどうしてもうまく歌えないとか走るのだけは遅いとか。
仕事はどうにもうまくいかなくて、いつも怒られるとか。
完璧な人というのは気持ち悪いですし、ある面では全く抜けだらけ、ということもあるでしょう。
それで釣り合いがとれているとも言えます。
その方が人間らしくていいですよね。

もうひとつ。
幸せと不幸せの感じ方ですが、自分を幸せだと感じますか?
自分はまあいろいろありますが、幸せだと思います。
何をもって幸せというかは人それぞれです。
では、

今までを振り返って幸せだったかそれともそうでなかったか、思い出してみてください、と言われたら?

これはなかなかしんどいですね。
幸せなこととそうでないことの数を数えてみたらどうでしょうか。
細かいことまで数えだしたら、幸せなことのほうが少なくなりがちです。
これはおそらく、幸せは痛みを伴わないから忘れてしまうためだと思います。
不幸せな出来事というのは心に傷が残りますから痛いんですが、楽しかったことやうれしかったことというのは痛みが伴わないから覚えていても薄い記憶になりがちかもしれません。
そういう意味で、痛みを抱えている人というのは楽しかったことやうれしかったことの記憶も少なかったとしても鮮明に残っているものだと思います。
それともうひとつ。
きっと痛みを抱えている人は、もし相手がいるとしたら「その人をゆるす」と声に出していうことで心に刺さったものがスルッと抜けていくと思います。
抜けたものはもちろん相手に返る。
いつまでも自分にさしておく必要はないですよね。
そして相手に刺さるはずなんです。
そんなことを経験したので書いています。
まあ、自分が刺してしまったものが返ってきたのですが。
これは、かなりしんどかったです。

そして、このことは他の方も同様に言っていますね。
そういう意味ではちょっとスピリチュアルで信じがたいですが、あるのだと思います。
受け取りたくない荷物は受け取らなければ相手に返ります。
ですから、何かいやなことがあったら、それを受け取らずにスルーすればいいんです。
きっと相手に返ります。

幸せも不幸せも自分の受け止め方ひとつで変わりますから、考えすぎず、一対のものなんだなあと思っていたほうが気が楽、というように思います。

さあ、今日もいい1日にしよう!

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