日記は2日でやめて、ランニングは三日坊主。
そんな自分が気づけば、このブログはなんと1,700回。
よく毎日続いたものです。
雑記ブログですから、何かを見ていただきたくてとか買っていただきたくて、というサイトではないんです。
自分の考えや身の回りで起きたことを書いて、整理しているだけなんですね。
それも毎日、6分くらいで読めるボリュームで。
この間にいろんなことがありました。
そこで気づいたのは、
1.前を向いて、いえ斜め上を向いて歩いていたら、大抵のことは乗り越えられる。
2.下を向いていると愚痴が出る。上を向いていると案が出る。
3.生きていることを実感できる出来事は人生に必要なこと。
嫌なこともずっとは続かない。続きそうなら逃げてもいい。
そういうことをここ数年で特に気づかせてもらいました。
なんとNHKのラジオ番組に投書したら読まれたりして・・・あ、そんなに大した話ではないのですが。
痛い目にも遭いましたが、それでもそれはきっと必要なことだったから起きたのだろうと思うんです。
人に対していろいろ思うことはあっても、それは必要だったんだなあと思うようにしています。
一生分の一日で起きたことにムダなことはないと思うんです。
病気やケガをしたりすることは避けたいですが。
人生は笑っていても泣いていても、1日は24時間だし、1年は365日だし、これはどんな人にも同じ時間与えられていて平等です。
その中で何を考えて、どう時間を使うか。
もう限界だ、というくらい毎日追い込んでいたら、いつか灰になってしまう。
そのギリギリのところで何かに気づけるかもしれません。
楽をしようと思えば、いくらでも楽に生きられるのも人生。
いろんなことが降りかかってくるのも人生。
ものの捉え方ひとつだと思います。
以前書いたことがありますが、自分に向けていい矢印と向けてはいけない矢印があります。
内容によりますが、向ける方向を間違えると即おかしくなります。
経験があるのでわかります。
「こんなことを言われるのは自分がいけなかったんだ。もっとこうすればよかったんだ。」
気が付きますか?
これ全て過去形です。
自分があとで気づいたのは、前向きに発すればよかったということ。
「こんなこと言われたけど、今度はこうやってみよう。こうすればきっとうまくいく。」
全然違うアウトプットですから、当然違うインプットが返ってくるはずです。
人間関係で悩むのはこれは仕方のないことです。
でも、その人はその人が主人公の人生を歩んでいる。
その人からすれば、自分は脇役です。
いろんな見方をされても仕方のないことです。
自分からすればその人は脇役ですが。
人で例えましたが、これは出来事でも同じです。
そういえば、イヤなことが起きたとき、今日の運勢や六輝を見ようとしませんか?
「あ~、やっぱり今日の運勢最悪だった。」
「やっぱりなあ、仏滅だし。」
自分の出来事を良くも悪くもそういったものと紐づけるのはあるあるです。
それがいいとか悪いとかではないんです。
自分もやってました。
でも、今はやめました。
それは、今起きていることは、ただ起きているだけで因果関係はない、というふうに割り切ることにしたんです。
以前の自分は、
「あ~、こういうことが起きたのは、きっとあの時にこんなことをしたからだ。」
例えば、虫を踏んでしまったとか、ごみを拾わなかったとか。
もちろん、六輝も運勢も見てました。
なぜ割り切るようにしたかというと、連鎖しそうでイヤだったからなんです。
Aの出来事とBの出来事を紐づけたら、ゲン担ぎばかりするようになって、これは違うなと思ってパッとやめました。
悪いことが続いたときにはなおさら・・・よくなかったですね。
気づきの多い人生は自分にとって本当に恵まれていると感じます。
幸せなことです。
魂磨きですからね、人生は。
さあ、今日もいい1日にしよう!