今日も絶好調!

自分の道を行くということ

毎日忙しくしていると、目の前のことだけに一生懸命になりがちでふと顔を上げたときに、自分のやりたいことや決めていたことができなくなっていたりする、ということがあります。
自分はパソコンで仕事をすることが多いのですが、集中していると完全に競走馬のように前しか見えない状態になっていて、ふと時計を見て驚くことがよくあるんです。
特に月曜日の午前中は時間の経つのが恐ろしく速いですね。
気を付けたいものです。

自分が本当にやりたいことは何か。

この問いに明確に答えられればいいのですが、ぼんやりとしていることもあると思います。
難しい問いです。
ただ半世紀ほど生きてきて思ったことは、周りばかり見ていてもダメだし、自分のことばかり考えていてもダメだということ。
あたりまえですよね。
自分は自分の人生を生きていて、自己中心的な存在です。
これは自分が主人公なわけですから仕方のないことです。
ただ、
そこで違ってくるのは、物事、人に対してフラットに思考できるかということではないでしょうか。
俯瞰して物事を見たり、接近してじっくり見たりしながら言うべきことと言わなくてもいいことをわきまえる。
もし言わなければならないのなら、言い方を考える。
そういうことが大切なのだと思います。

このバランス感覚はどうすれば養われるのでしょうか。

言わなくてもいいことを言って痛い目に遭ったことは数知れず。
自分で馬鹿だなあと思います。
ただ、答えを得るためにはそれもやむなしとわかっていたので後悔はしていません。
損か得かで考えれば・・・どっちでしょうね。
正直言って自分は幸いにも答えを得られたので良かったと思います。
近づいていい人とそうでない人、というものも自然にわかる人を見ているととてもうらやましい。
的確に教えてくれる人と取り込もうとしてくる人といると思います。
「判別できる千里眼を持つ」なんてそうなりたいですね。

自分が主人公として生きる以上、自分に責任がありますし、自分がどうしたいのかを都度決める必要があります。
決して他人にゆだねてはいけないです。
意見は聞いても聞きすぎてはいけない。
また、自己主張しすぎてもいけないと思います。
そのためには・・・、
自分一人で悶々と考えていないようにすることが大切だと思います。
できるだけ多くの人とコミュニケーションを取りながら、自分を磨くということでしょう。

人が生きているうちに接する人というのは、3,000人と言われていますよね。
その中で真剣に議論できる人というのは何人いるでしょうか。
本当に腹を割って話をすることのできる人数は?
本当にすべてをわかってくれる人は?
もちろんきれいごとではなく、全てというのは無理だと思います。
でも、安心して自分の意見を言える人、言える環境というのはとても大切です。
あれば、ベスト。
無ければ我慢しないといけない場面が多いということになります。

元気に動き回れて、自分の意見も言えるうちに、もっと自由に場を求めてもいいと思います。
いまの環境に縛られているのはあまりにもったいない。
そんなことを最近感じます。
決められた道があるとしたら・・・?
それは誰が決めたのでしょう。
きれいごと、と捉えるか、もっと自由に世界を俯瞰してみようと考えるか。

それは自由なはずです。

一度きりの人生という言い方があります。
そうであれば、それを活かさず、道を決めてしまってはもったいないですよね。
自分の可能性を信じて、人との出会いを求めて、自分は何をしたいのか、徹底的に考える。
楽しい世界は自分が手を広げたその先にあるはずです。
それを求めてみてもいいのではないかと思いますね。

さあ、今日もいい1日にしよう!

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