約4年前に始めた雑記ブログも気づけば1400回を超えていました。
思ったことを毎日欠かさず、書いています。
これが日記だったら続かなかったといつも思います。
季節ごとの信州の自然を切り取って写真を載せたり、自分が日々感じていることを書いていますが書くことに困ったことは今のところないんです。
いろいろ考えていること、思うことがあるんですよね。
最近思っていることは、
「どうやって心をざわつかせないようにするか」
です。
毎日いろいろなことが起きますよね。
自分の場合、新聞やテレビのニュースに感情を載せない、ということを意識しています。
感情を載せてしまうと、つらいし、解説やコメンテーターの人が言っていることが気になったりして嫌なんですよね。
なので、聞き流すようにしています。
ネットのニュースも見ないようにしています。
面白おかしく、またネタバレだったり、思わせぶりな書き方をしますよね。
そういうものに時間を割かない。
常に自分の軸で動くようにしていたら、気持ちが疲れなくなりました。
貴重な一生分の一日ですから、ざわつかせていたらもったいないんです。
自分の時間は自分が使うためにあるんですよね。
ざわついていたら、その相手のために使うことになってしまいます。
先日あった話は、車を運転しているとあおられたときにムカつくという話。
自分はムカつかないんです。
危ないからよけますけど。
ムカつかない理由は、
「おしっこ漏れちゃうの?それとも大きい方?」
「それとも、子どもが生まれそう?」
そう思うと、ムカつくどころか、
「捕まらない程度に早く行きなよ。」
となります。
そういう急いでいる人に腹を立てるのは本当に無駄です。
急いでいる人なりの理由があるわけですから、それに感情を向けてはいけないんですよね。
もうひとつは、怒りの元を反芻(はんすう)すること。
反芻すると、怒りは増幅します。
それって、誰のためになるかというと・・・誰のためにもなりません。
自分の感情に波が立って、とても不愉快になるんですよね。
さらに、自分だけで考えているとどんどん凶悪なほうへ行ったりします。
その時間ってもったいないと自分は考えます。
怒りの元はさっさとポイッとすてて、楽しいことやクリエイティブなことに意識を向けたほうがいいんです。
嫌な人がいるなら離れればいい。
寄り付かなければ、自分の心の平穏は保てます。
今の時代、いろんな人がいますし、アンコンシャスバイアスという言葉が出てくるほど、ややこしい時代だと思っています。
それなら、なおさら自分のために、自分の心に波風を立てることなく生活できるように仕向ければいい。
そう思います。
何度も書いていますが、
「我慢して生きるほど人生は長くない」
です。
人の機嫌を気にして生きるのは時間の無駄だと思えば、いろんなことが整理できるようになりますよね。
あとは、”利用されない”ということです。
自分の時間も気持ちも、ともすると利用されることがあるということを覚えておきたい。
それに気づいた出来事があったとき、とても悲しい気持ちになりました。
毎日は、川でいえば、濁流もあれば、静かに流れる大河のように平穏な流れもあります。
では、どちらを選びますか?
選べればいいのですが、選べる場面ばかりではないですよね。
そのときには、自分から濁流の中を行かなければなりません。
でも、その中で学ぶこと、身につくこともあります。それも大事ですね。
穏やかな流れの時には、それを感じながらめいっぱいいろいろなことに考えを巡らせればいいと思います。
いずれの場面でも大切なのは1点集中ではなく、俯瞰してものを見る目、自分の手を伸ばした範囲を見る目、いろいろな視点、視野で物を見る癖をつけておけばその人の度量も広く、深くなるのでしょうね。
そういうことなのだろうなあと思っていても、これって難しいですね。
毎日、一期一会の出会いに、出来事に感謝しながら、心は平穏でありたい。
そう思います。
さあ、今日もいい1日にしよう!