昨年からずっとNHKの朝ドラを録画して見ているのですが、今やっている”おちょやん”の中で出てきた言葉です。
「自分の本当にやりたいことをやりなはれ。そうせな、後悔する」
その前の”エール”では、
「やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい」
といってました。
どちらもいい言葉です。
今の自分はその言葉の意味がよくわかりますが、20代ではわからなかったですね。それで今は言うんです、”思ったことはやったほうがいい”って。
実際そういうことのほうが多いですよね。
これは、迷っているときもやらないのではなく、やったほうがいいと思っています。
答えを出すために動くんです。
動かなければ答えがわからない。
右に行って間違えたから、今度は左へ行けばいいんですよね。
そのうち目的地には、たどり着きます。絶対に。
自分は幸か不幸か、真っ直ぐな道を歩いてきていません。
そのおかげでいろいろなことが見えました。
見えた・・・ので学習しているかはまた別の話ですが。
ただ、その中で人のいろいろも見えましたし、物事の理不尽さも見えました。でも、それでいいんです。
知らないよりもそれを知ったことが貴重だと感じています。
今でも会社でいろいろ言われることがあります。
自分としては一つも気にしていないのですが、過去にある人の言うことを信じて展開しました。それが、違う意見の人達にとってはとても厄介で鼻につくことはわかっていました。では、なぜ私はいろいろ言われるとわかっていてそれをやったのか。
先を見たからです。
先を見た時に、誰かがやらないといけないこと。
でも、誰もやらないだろうと思いました。かなり自分にとって風向きが悪くなることはやる前からわかっていましたから。
ただ、それでは間違いなく何も変わらない。波風を立てて変えないといけないことだったんです。
まあ、そんなことばかりしているので、上からは睨まれてばかりなのですが。
高校の頃、ちょうど横浜銀蝿とかツッパリが流行っていたころでした。集団でなにかやることがとても嫌いで、迎合しないのがポリシーでした。
”今日から俺は”の実写版ですね。
あたりまえですが、そんな小僧をよく思わない輩もいるわけです。自分にとっては全く関係なかったですね。その頃から、人の言うことを信じるときは徹底的に信じ、試してみて正しいかどうか判断することが身についたのかもしれません。
不器用な分、迷ったら動いて答えを出してみる。それしかできなかったですよね。では、今本当にそうできているか・・・。
大人になるとですね、いろいろと邪念が入るわけです。
あれはやりたいけど、お金がかかるからやめておこうとか。少しのお金でできることでも、流石に無理だろうと思ってやらないとか。
仕事でもリスクを取らずに無理だと決めてしまったり。これ、ダメです。
自分の限界を自分が決めるときは大抵うまくいきません。
自分が限界だと思うと自分の中で「よしよし」と言っているのが聞こえる気がします。これ、大嫌いなんです。
限界は人に決めてもらえばいいと思っています。
そんなふうにやっていたら、きっと自分の限界値が高くなっていく。
いいかどうかはわかりません。でも、それが答えを出すために近道なのでしょう。頭で考えてもうまく行かないことのほうが多いように感じています。
うまくいく人は、直線的に山を登れると想うので早く行けるでしょう。
でも自分はかなりくねくね曲がりながら、時々戻ってみたりして。
時間がかかりますよね。
今、これでいいと思えているので、いいのかな。答えなんてわかりません。正解はいくつでもあるのでしょうから。
さあ、明日もきっといい1日になる!