今日も絶好調!

自分の道を歩く

こういうタイトルはどことなく偉そうで好きではないのですが、最近とてもそれを強く感じる出来事があったので自分の備忘録として書いておきたいと思います。
自分は四半世紀参加していたコミュニティがあるのですが、ある時から全く行かなくなりました。
自分に対して過度にいろいろ言われたり、その中には否定も入っているわけですが、そうするとそこまで言われることに対する抵抗が出てきます。
これは蓄積します。
そのときはあまり何も思わなかったことでも後になって、

「ん?なんでそこまで言われないといけない?」

と気づくことがありました。
反面では社会に出てから、第三者にそういうことを言われるのは会社以外ではなかなかないのでありがたいと思う一面もありました。
でも、だんだんと年数を重ねてきて思うようになったのは、

「自分の事は自分で決めればいいんじゃないか?」

でした。
例えば、自分の着るもの、自分の好きなもの、そういったものは周りがなんといっても自分が好きなので、他者から何か言われる必要は無いですよね。
自分が良ければ、まぁ何を着ていてもいいわけですし、何をしていても人に迷惑をかけたり、不快な思いをさせなければいいはずです。
それを1つの枠にはめられそうになったとき、自分の中でここが自分の居場所でないことを感じました。
もちろん、それを相手に言う必要もないですし、静かにそのコミュニティから離れればいいだけのことでした。
自分で驚いたことは、四半世紀付き合った人たちとこれほどあっさり自分の中で線が引けるんだと言うことです。
そこで自分の頭の中を整理してみました。
出てきたのはこれ。

「自分の人生を、自分を主として考えなくてどうする!」

自分の意見を否定されたとき、否定される必要がないことだと思えるならそれに従う必要もない。
自分が自分らしくいられないなら、自分の場所を求めたほうがいいこと。
※会社では組織としてのガバナンスがありますから、気に入らないというような理由で自分勝手なことをしてはいけません。

では「自分らしく」とは何か。
例えばトライアスロンの大会に出たいとします。
これに対して誰かに「やめておいた良い」と言われるのは筋が違いますよね。
自分がやりたいのなら、人に迷惑をかけない条件で、いろいろやってみれば良いのだと思います。
正しいとか間違っているとか、それを決めるのは自分自身です。
だから、人が引いた線の上を歩く必要は無い。
それを教えてもらったと思っています。
そういう自分も実は”心配だから”という言葉を使って人の挑戦を引き止めてしまうことがありました。
もちろん、なぜ心配なのかは全て言葉に表すことができます。
でも、それを口に出したとしても、全力で引き止める権利は無いですよね。
その人の人生でやりたい事は全力で応援したほうがいいと思っています。
ただその応援の中で気をつけなきゃいけないこと、特に怪我につながるようなことだけは伝える。
それ以外は全力で応援をする。
今の自分はそれが正しいと思っています。

先日仲間と話をしていて、70歳に手が届く人が一生懸命ランの練習をしているのだそうです。
そして来年トライアスロンのアイアンマンレースに出るそうです。
アイアンマンの大会はエントリーだけで15万とか18万とかかかるのですが、

「自分だったらもっと違う楽しみ方をするのにな」

と思ったとしても言うべきにはありませんよね。
その人は、年齢的に自分ができる最後のチャレンジとしてそれを選んでいるわけですから、最高だと思います。
そして違う楽しみ方でそれだけのお金を使う。
それも正しい選択だと思います。
自分の人生ですから、自分で決めれば良い。
人の選択にいろいろ言うもんではないんです。

違う話ですが、先日見かけた自転車には驚きました。
この話はまさに10人いたら10人ちがう意見を言うかもしれません。
その自転車に乗っていた人は40代半ば位でしょうか。
その自転車はどう見ても”マウンテンバイク”なのですが、ハンドルについていたのは、フラットハンドルの上にトライアスロンで使う前に突き出したTTバー。
マウンテンバイクにつけている人を初めて見たので、違和感しかありませんでした。
マウンテンバイクのポジションは高めです。
スピードを出すのであれば、当然低いポジションのほうがいいわけですね。
だからその選択は今まで見たことがなかったんです。
でもその人は真剣にポジションのことを考えているようでした。
1台のバイクでいろいろなことをしようとするのは正しいです。
お金をかけられればトライアスロン用のバイクを買えばいいんです。
でも、マウンテンバイクだけしか持っていなくて、トライアスロンに出ようとした時、それは最善策かもしれません。
この話をロードバイクに乗る人、トライアスロンをやる人はどう見るでしょうか。
ぱっと見たとき、自分は信じられませんでした。
でも、いろいろな事情があって、それをつけてるのかなと思ったら、特段気にもなりませんでした。
人のやっていることや選択に対して今までの常識論でものを言う人たちは多いです。
でも、その挑戦が元になって新しいことが起きるかもしれない。
スタンダードではないにしても、そういう選択もあるのかという気づきになるかもしれない。
そうだとしたら、人のやることに自分の常識論を振りかざす必要はどこにもないのです。

自分の人生をどう楽しみ尽くすか。

自分の選択を否定されるようだったら、そこは自分の居場所ではない。
最近特にそう思うようになりました。

さあ、今日もいい1日にしよう!

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