誕生日、結婚記念日、開業日、いろいろな記念日がありますよね。
そういう記念日というのが自分は少し苦手で、ワクワクしながらもどこか空回りしがちです。
自分の頭のなかだけで考えていて、それを言葉にしなさ過ぎて、逆にわけのわからない言動をしたり。
はい、出ましたぁ、これが生真面目という遊び心のない悪いところ・・・。
これでどれだけ自分が今まで、いろんなことをつまらなくしてしまったか。
真面目というのは聞こえはいいですが、全然いいことではありません。
例えば、線が一本引いてあるとしますよね。
それを違う角度で見たら厚みがあるかもしれないし、一本の線だと思ったら点線かもしれない。
でも、それを線としてしか見ることができない自分の狭さが出るんです。
自分でもムカつくほど、つまらない自分。
こう書きながらそんな自分に酔うことはないんです。
本当にイヤなので。
向き合いながら壊していきたい一面ですね。
さて、年に一度の大切な日に何をしようかとずいぶん前から考えてきました。
「そうだなあ、どこかへ行くにしても遠くへ行く移動時間はもったいないし、疲れるかもしれないし、それなら近場でのんびりできる時間があればいいか。いやいや、おいしいものを食べるのもいいよなあ。」
と、ああでもないこうでもない、ぐるぐると。
このまえサプライズのできる彼の話を聞きました。
聞いていて、よくそこまで考えつくなあと思い感心しました。
苦手ではないけれど、うまくできない、というかやってこなかったのかな。
以前、まどろっこしいからイヤだといわれたこともあったよなあ。
難しいですね。
そんなことをいろいろ考えながら思い出したのは、全然サプライズではない話。
今では罪悪感すらある。
自分が小学校のころだから半世紀前くらいですかね。
お土産にもらったお菓子の箱を開けたら、きれいなパッケージの中にお菓子が入っていました。
そこで、そのパッケージからお菓子を全部出して、小石をパッケージに入れてお菓子の箱にみえるように隠したんです。
それを母親に渡したら、
「ん?カラカラ音がするけどホントにお菓子?」
と言われて、ゲラゲラ笑ってしまったんです。
あとで、食べ物で遊ぶんじゃない!と怒られました。
顏に出ちゃうんですよねえ。
プレゼントは、その形もいろいろですが、一番楽しいのは渡すときの相手の表情ですよね。
でも、もっと楽しいのは選んでいるとき。
何が喜んでもらえるのか。
このまえ会社の上司が真剣な顔をしているので、難しいことでも考えているのだろうと思っていたら、
「今週末、妻の誕生日だから何を買っていこうかと悩んでいる」
というんです。
昼飯どきだったので「何食べたかわからなくなりますよ」といったんです。
そんなに難しい顔して悩まなくてもいいと思うんですけどね。
でもそれだけ真剣に悩んだ品物を渡されるというのは、もらう側も嬉しいですよね。
その方は、去年渡したもの、その前渡したもの、って全部覚えているそうです。
もらった側が覚えているのはわかりますが、あげた側はとかく忘れがちですよね。
そんなことないですか?
まあ、なんにしても、そういう記念日は大切にしたいものですね。
さあ、今日もいい1日にしよう!