今日も絶好調!

自分の運を信じるときに大切だと思うこと

生きているといろいろなことがありますよね。
自分に降りかかってくることはいいことばかりではないですよね。
自分もいろいろありましたから・・・わかります。
”いろいろある”ということの中で、自分はどう考えても悪くないけれど攻められたり、悪者にされることってありますよね。
その時のことをいま思えば、あれはそういうタイミングだったんだろうなあと思います。
自分はそこでできるだけのことをした。
ずるいことだけはしたくなかったから、正論をかざしたらめった刺しにあった、あるいはハチの巣にされた、ような感覚です。
でも、そのときに腐らなかったのは、後ろ盾があったから。
「お前は間違っていない」と言ってくれる人がいたからです。
そういう存在って大切ですよね。
ものごとを大きく変えようとするとき、必ずアレルギー反応が出ます。
古きを良しとしてきた方々ほど顕著に。
そして、そのことに反旗を振りかざせば、八つ裂きにされるから誰も言い出せない。
これって何かに似ています。
でも、変えなければいけないから戦うわけです。
このときに大切にしていたのは、誰かの思いではなく、自分の運でした。

自分は運がいい。この程度のことでは屈しない。

まあ、仕事ですからね、殺されることはないわけです。
ただ、あからさまな嫌がらせは受けました。
でも自分は運がいいんです。
だから、今ここにいます。
だいたい今ここに存在している確率って知っていますか。
命は決して粗末に扱ってはいけないんです。
自分の運を信じなければいけない理由は、もっと他にも大きな話であるのですが。

だから、自分の運を信じて、腐らず、常に笑っている。
ものごとには真摯に向き合う。
裏切られても裏切らない。

そんなことを考えています。

さて、自分がいくら運がいいと思っていても予期しない事故なんてこともあります。
これを悪いこととしてしまうのか、この程度でよかった、として運がよかったととらえるかは自分次第ですが、とらえ方によっては不幸の入り口に立ってしまうように思います。
悪いことが起きても解決できたなら、その時点で

「この程度で済んでよかった、ありがとうございました」

と、お礼に変えれば少しケガをしてもそこで断ち切れると思うんです。
”厄落とし”だと思えばそこで厄を落とせたのだから、それでステップアップできるんです。
でも、その出来事を恨んだり、こっちは悪くなかったなどと考えてしまったら、そのことで切れたはずのことが戻ってきてしまう。
これは良くないことを引き寄せてしまうと思うんです。

断ち切る。悪いこととは縁を切る。
”悪い縁は切ったほうがいい”

これは誰でもわかりますよね。
そういうことってあると思います。
自分は昨年そういう出来事が起きて、そのときに一緒にいた方にけがをさせてしまいました。
本当に申し訳なかったんです。
自分が一緒にバイクライドしていた時のことでしたから。
そのときに自分が乗っていたバイクは、体にケガひとつしていないのにフレームが割れました。
ぶつけてもいないのに、ポッキリと、です。
でもその時に不思議な感覚があって「そういうことか」とすぐに理解しました。
大切な人をケガをさせてしまったことは反省と共に自分の糧として判断の軸ができました。
このことには本当に感謝しています。
そして破断してしまったバイクにも本当に感謝しています。
これまでいろいろなところに連れて行ってくれて、大会でも好成績を残してくれました。
だからこそ、未練を持ってはいけない。
ただただ感謝だけ、です。

そういうことなのだと思います。
人は先に進まなければいけない。
人の歩いたところをなぞるのか。
同じなぞるのでも、自分が選択していくことが大切だと今ははっきり思います。
そういうタイミングなのだと。
そういう時にこそいろいろなことは起きる。
だからスパッと切り替えることが大切。
そのことをわかっていたら、次にやることも明確になりますからね。
スピリチュアルな話ではなく、心の持ち方の話です。
そんなことを考えているとき、不思議とまわりでいろんな音がしたりするので面白いと思います。
なにかの波動なのかもしれないですね。
気持ち悪いとかではなく心地いいんです。

さあ、今日もいい1日にしよう!

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