今日も絶好調!

自分の機嫌を取ることの大切さ

毎日いろんなことが起きますねえ。
心がざわつくこともしばしば。
何でマウント取ってくるんだろう、とか。
まあ、仕事に行けばいろんな人がいますから、いろんな機嫌の人がいるわけです。
みな、自分が主人公ですから悪気はないのでしょう。

さて、ゴミ拾いの話です。
朝散歩をしていたら、片手にビニール袋、もう一方の手にはトングをもってニコニコしながら歩いてくる人がいました。

「ゴミ拾いをしてるんだなあ、いいことをしている人がいるんだなあ」

そう思ってすれ違いました。
その人は気持ちよく挨拶をされてそのまま行ってしまいました。
初めて見かけましたが、ゴミが気になっていたのでしょうね。

一方、以前見かけた人の話ですが、

「ここに、ごみを捨てるんじゃない!」

と怒りながらゴミ拾いをしている人がいました。
近所にいて、散歩しているとたぶん出勤時間なのでしょう、よく見かけるんですがごみを見つけると大きな声で(早朝ですが)怒っています。
怒ってみても、捨てた人はその辺にはもういないはずなんですが・・・。

さて、先ほどのビニール袋を持った人のような人を以前見かけたんですが、やはり黙って黙々とゴミを拾っていました。
近くにコンビニがあるせいか、空き缶やテイクアウトのコロッケや肉まんのごみが落ちていたりします。
自転車に乗りながら食べていたら飛んで行ってしまったのかもしれないですが。

この話はゴミを拾うことの気持ちや尊さを書きたいのではなく「自分が気分がいいのはどちらでしょうか」を問いたいんです。
「ゴミを拾えば、自分の気持ちがすっきりするのはどちらでしょうか」と。
「誰かの捨てた”運を拾った”と考えたらどちらが気分がいいか」と。(笑)
先ほど自転車に乗っていたら飛んで行ったかもしれないと書きましたが、自分もそういう経験がずっと前ですが、あったので書きました。

捨てるつもりではなかったゴミ。

きちんと捨てようと思っていた人がいる。
反対にゴミを捨てようとして捨てる人がいる。

どちらも目の前にあるのは”ゴミ”です。
でもそのごみを拾う時に

「ラッキー!運拾ったわ!」

と声に出したらどうでしょう。
とても幸せな気分になります。
やってみるとわかるのですが、とても朝から幸せになれますよ。
反対に、

「誰だ、こんなところにゴミ捨てて!」

と言っているといつまで経っても幸せな気分にはならないはずです。
どちらがいいでしょうかね。

自分はこの話をメジャーで活躍している大谷選手の”ゴミを拾う習慣”の話を聞いてからやるようにしています。
いつもではないですが、できるときに。
でも、やれば気持ちがいいことを知っています。
そして、運を拾ったのですから、その日は一日

「やばい、今日いいこと起きまくるかも!」

とニコニコしてしまいます。
そういう日は、周りにも優しくできるんですよね。
笑顔は連鎖しますから、職場なら皆いい気分になります。

反対に、

「うちの近所にはごみを捨てる奴がいるから、今度見つけたらとっちめてやる!」

などと考えていると視野が狭くなり、その悪い行いに集中します。
悪い行いに集中するんです。
これってしあわせになるでしょうか。

要はそういうことだと思うんです。
善い行い、善行を行うことは尊いですが、自分が気持ちよくしていればまわりも気持ちよくいられる。
連鎖して皆が幸せな気分になるということだと思うんです。
そして何よりも、

自分が気持ちよくいられるようにする、つまり自分の機嫌を取ることがとても大切だと思います。
こういう話って、いろいろな場面でありますよね。
買い物に行った先のスーパーやコンビニ店員の方の対応とか。
車を運転していた時のゆずりあいとか。
ふとした時にムカッとしても、自分の機嫌を取ることに意識を向ければ幸せになれると思います。
怒りは怒りしか生みませんからね。
口角を上げて、ニヤニヤしてみるだけでも楽しくなってきますよ。

さあ、今日もいい1日にしよう!

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