今日も絶好調!

自分を知る!

なんとなくこんなことを考えました。

自分はどんな人間なのだろうか。
芯が強くて何事にも真面目に取り組む人間だろうか。
流されていないだろうか。
人の役に立てているだろうか。
端から見た時、ただ使いやすい人になっていないか。
都合のいい人と思われていないか。
そもそも・・・自分はどうしたいのか。

ある動画を見たときにそんなことを考えました。
定年になってひとりになった時、

「ああ、自分は会社という組織にいたから役職や名前で呼ばれてたんだ。
自分は何者なんだろう?」

という内容でした。
まあ、自分はその点であまり困っていないのですが、なるほど確かに会社から一歩出たらそう考えてしまうこともありますよね。
”サラリーマン”という職業はないので、皆それぞれ自分の役割として何かのエキスパートにはなっていると思うんです。
なにせ”自分が主人公”の人生というドラマの中にいますからね。
そのプロとして許せないことがあるから怒ったり、イライラするんでしょう。
でも、その仕事、役割は会社のすべてではないんです。
ほんの一部。
全体を知る人、何を聞かれても困らない、という人はあまりいない。
だから、自分は思うんです。
怒ったらダメだと。
誰かに言っている言葉ではなく、自分自身への戒めです。

先日会社の部門の飲み会の時に言われました。

「昔あんなにとんがっていたのに、落ち着きましたね。」

だそうです。
・・・恥ずかしい限りです。
たしかに、月初めの時点でその月の予算はやり切っていた時期がありました。
まあ、調子に乗りますよね。
天下取ったような気分で💦
そうすると、営業マンは強気になります。
数字をやった時だけ発言権がある。
いろんなことを進言していました。
まあ、めんどくさい社員だったでしょうね。
当時の社長のところに「こうすればうまくいく!」なんていうプレゼンをしたこともありました。
そんなことをしていると、いろんな目に遭うわけです。
一言でいうと嫌がらせ。
ド正論でものを言うと嫌がる人たちがいる、ということを学びました。
自分だってきっと突然そんなプレゼンを持って来られたら何ごとかと思いますよね。
ただ、それが少々稚拙なものだったとしても、ディスるようなことをしてはいけません。
その時点の視野で精いっぱいのことを考えてきたはずですからね。
そんなおもしろい社員、最近はいないですねえ。
意見を言うのはとてもいいことです。
愚痴や否定論を言うのではなく、意見に変換して言えば必ず何かの形で変化してくる。
特に会社は戦い方がありますよね。
ただ、不満をぶつけても何も変わらないですから。

さて、会社の話は良いとして、
未来のために今を見ているだろうか、と考えました。
自分のことはわかっているようで一番わかっていないんです。
周りにどう思われていようと、道を外れていなければぜんぜん構いません。
むしろ便利に使われるのだけは避けたいです。
遅ればせながら、そういうことに気がついたんです。
自分の時間は、自分の命の時間。
だから、自分のために使うことはいくらでも惜しみなく使った方がいい。
一言でいうと正直に生きたほうがいいということですよね。
自分の気持ちに正直に、素直に、言いたいことは言えばいい。
言う場と言葉遣いさえ間違えないようにすれば。

さあ、今日もいい1日にしよう!

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