「あたりまえの反対語は?」
「そりゃあ”有難い”ですよ。」
この話はよく出ますよね。
あたりまえ、ではなく”有難い”こと。
いま何も意識しなくても普通にできていること、それがあたりまえです。
でも、それって本当にあたりまえでしょうか、という話ですね。
ずいぶん前の話ですがある人が会議の席で、「そんなのあたりまえじゃないですか!」といったことがありました。
自分はそのことにとても違和感がありました。
「ん?あたりまえ?なんで???」
その人にとってはあたりまえでも、自分にとっては特別なことで、どちらかといえばまさに「有り難い」ことだったから。
ですから、それをしてもらったときに「ありがとうございます」といっていました。
これって、あたりまえの基準が人によって違うってことなんですよね。
それがわかってから、会議の席ではどんな考えを持っているのか知りたいので、できるだけ発言してもらったり自分も発言するようにしてきました。
半世紀ほど生きてくるといろんなことに直面しています。
一番気になるのは、人に対して雑に接する人がいること。
人はみな自分が主人公の人生を生きています。
年齢問わず、共通です。
自己中心的な人を見ていると本当に残念なのですが、感謝する気持ちというのは決して忘れてはならないと思うんです。
すぐにお礼はいう。
ありがたいと思ったらどれだけ嫌いな相手でも苦手な相手でも、お礼を言う。
どれで何が変わるわけではないのですが、少なくともマイナスにはならないでしょう。
それでいいんです。
マイナスにしない人間関係です。
そういうレッテルを人は勝手に貼りますから、それ以上マイナスにしないようにだけ気を付けること。
それで十分だと思っています。
ありがとうという感謝の言葉
ごめんなさいというお詫びの言葉
これを言えることが大切ですよね。
やたらとすみませんを連発する人がいますが、あれは自分を下げるのでやめたほうがいいように思います。
”下げる”というのは相手に対してもありますが、自分の気持ちの中でフラットでいられなくなる、思ったことが言えなくなるように思います。
下手に出るという言い方もできますが、相手によっては下に見てきますからやめたほうがいいかと。
当たり前。
そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないと考えることで新しいことがみえてきますから。
トライアスロンをやるようになって、人からはすごいとかバケモンとか言われます。
でも、自分にできるのだからみんなできると思っています。
ただ、それはあまり軽口では言わないようにしています。
なぜなら、あたりまえではない要素がたくさんあるから。
スイムなら泳げる施設があるか、通える場所か、ウェットスーツにかけるお金があるか。
バイクならロードバイクを用意できるか、乗れるか、その時間がとれるか。
ランなら自分に合ったシューズを用意できるか、走る時間をとれるか。
こういう複合的な要素がありますから、あたりまえではないんですよね。
なので、自分はこれをできることをありがたいと思っていますし、それを教えてくれた方にも感謝しています。
全身を動かすことができるスポーツというのは、自分でやれればいいのですがなかなか手が出せなかったり、出来なかったりします。
トライアスロンはイヤでも体を動かすことになります。
いいスポーツだと思います。
さあ、今日もいい1日にしよう!