先日会社で起きたこと。
それは雑談から始まった出来事ですが、以前自分がその役割をやるということで一旦おさまった話が、とあることからぶり返し、揉めに揉めたということがありました。
あるサービスを受託するかどうかという話だったのですが、そのためには社内で1人ある資格を取らないといけないということでした。
その資格を自分が取るという話だったんです。
Aさんはそのサービスを受託することに対して反対をしていましたが、自分が資格を取るということで納得したという過去がありました。
来年度から会社としてそのサービスを受託し、大きく拡販していく話になりました。
Aさんにしてみれば何も痛みは伴わないのですが、一度過去に反対してしまっていたために、引っ込みがつかなくなったのでしょう、そのサービスを受託することにひたすら反対を始めました。
たしかにそのサービスを継続するためには自分一人では足りないので、別部門から育成するということになりこれについては全く問題がないんです。
それでもAさんは、そのサービスそのものに価値はないと引きません。
この話の行きつくところは、「そのサービスに価値があるか」ですが、会社はもちろんその点について評価し、始めるからには体制を作り責任ある仕事として請け負うことをするわけです。
俯瞰してみればわかることも多いのですが、個人が考えるそのサービスであったり仕事については視野が狭くなっていることもありがちです。
このような話はいろいろなところにあると思います。
自分が一度正しいと言った事は簡単にはひっくり返せないこともあると思います。
正しいと言ったことというのは自分なりの判断があり、正しいと信じているからですね。
それをゴリ押ししようとすれば必ず衝突します。
これがその人の正義だと思います。
でも、これを少し冷静になって引いたところから見てみると、その正義を振りかざすことにあまりメリットはないと思うんですよね。
なかなか一度あげた手は下ろせないという言葉もあります、正しいと判断していますからね。
企業において1人が反対してみたところで、例えばそのサービスがとてもメリットがあるとすれば壁があるとしてもそれを克服・改善できるならやるべきことだと思います。
自分なりの判断は、そのことが企業の利益優先ではないこと。
人のためになることかどうか。
リスクはないか(人命にかかわらないか)
メンテナンスなどの負担は大きくないか、安全か。
上げたらいろいろありますが、そういうことを考えます。
大きな仕事を任せていただける機会がある時も、そういう判断基準をもって少しでもお客様の役に立てないリスクがあるならやめたほうがいい。もちろんそれを回避できるならやるべきです。
自分の正義を持つことは大切ですが、それも時には正しいかどうかを常に考えたほうがいいですよね。
自分の判断軸が必ずしも正しいとは限らないですから。
さらに、仕事であればなおさらですが、声を荒げて言うことはない、冷静に議論したほうがいい、ということです。
国会討論を見ているとジェスチャーなのか声を荒げて、ああだこうだと言っている議員の方がいます。
あれは見ていて演技かなと思います。
むかしはそういう議論の仕方もあったかもしれませんが、今はもっと冷静に理路整然とした議論をしてほしいと思います。
何ごとも感情論ではなく相手が何を考えているのかを聞いて、そういう考え方もあるのかと受けてみてその上でどうすればいいかを結論付けていく。
何が大切なのかは人によって違いますからね。
それをすり合わせていくことが大切で、自分の意見を押し通したり、不満をぶちまけているだけでは何も解決しないし、残念ながらそういう人の意見は聞く気にならないです。
会社の中にも批判的な人がいますが、なかなか改善につながるケースは少ないです。
そのことに対してまた不満を行っているのを見ると残念でしかありません。
取り上げてもらえないんですよね。
これってとてももったいないです。
・・・少し真面目な話をしてしまいました。
さあ、今日もいい1日にしよう!