会社組織にいると、まわりにいるのはもちろん人ですから健康な人もいれば病気を患っている人もいます。
自分は、健康優良児のようなふりをしていますが、やはり治らないものを持っていたりしますから、本当に健康で何もないという人は少ないかもしれませんね。
昨年は、後輩が、その前の年は同い年の同僚が亡くなりました。
そして、一昨日は同期入社の同僚が長く闘病していたのですが亡くなりました。
残念です。
いつも思うのですが、人が亡くなっても次の日になれば陽は昇るし、世の中は何も変わりません。
そうして何百年、何千年と歴史が積み上げられてきたんですからあたりまえではあります。
でも、その人たちはもういない。
その人の人生がどうだったか、どんな性格だったか、なにをしてきたのか・・・。
いい人ばかりではないのですが、いなくなってしまえばそこでゼロになります。
嫌な思い出だけが残るということはありますが、それもゼロになります。
自分はどう生きるのか。
仕事だけ愚直にやってきた!
仕事で時代を動かすくらいのことをした!
趣味でいろいろな人と楽しんできた!
趣味でいろいろな人に影響を与えるような活動をしてきた!
何がいいかはわかりません。
ただ自分が思うのは、それぞれのことを「何のために」やっているのかを考えることが必要だと思うんです。
仕事=給料をもらうため?お客様の仕事を軽減するため?しいては役に立ちたい?
趣味=健康やストレス発散のため?まわりに健康やそのことを伝えることでもっと喜んでもらうため?
「そんな難しいこと考えてんじゃねえよ。」と言われたことがあります。
でも、自分はただ漫然とものごとをやっていたのでは時間の浪費になってしまうような気がするんです。
そうならないように、目的をもって物事を見るようにすると充実感が変わってきます。
それは何のためにそうするのか。
逆に、気になることがあっても「見ない、聞かない、動かない、言わない」ようにすることで”感情を動かさない”ことも大切です。
生きている以上、人との関わり合いはあります。
その中で「何を言って、何を言わないのか」は大切なことですからね。
自分が立ち止まって後ろを振り返ったときに、ムダな時間を過ごしてきたと思うのか、それともいろいろあったけど面白かった、ここまでいい生き方をしてきた、と思えるのか。
それは、その尺度が自分の中にしかありませんから難しいのですが、その感じたことを活かして今この瞬間から何をするのか考えればいいのだと思います。
誰かが決めることではありません。
自分が決めて、動くのか思考するのか、です。
いなくなってしまった同僚たちが病床で何を思ったのか。
全てを聞いているわけではありませんし、理解することなど不可能です。
でも、自分のことなら考えることができます。
だから、何も考えずにボーっとする時間ばかりではなく、何か思考しながらこの瞬間を大切にしたいですね。
さあ、今日もいい1日にしよう!