朝の景色です。
ちらちらと雪が降っていました。
この時期のモノトーンの景色は音を吸収して、周りがとても静かです。
さて、今朝見ていたテレビでこんなことを言っている方がいました。
「額にしわを寄せない生き方をしましょう。
今の時代は、戦争もないし、食べるものに困る時代ではなくなりました。
例えば今が100年前だったらどうでしょうか。
いろんな国と日本も戦争していたし、すぐに何かあれば、武力でなんとかしようとするそれまでの社会があったはずです。
高度成長の時代がありましたが、その時から今に至るまでモノに困らない国にはなりました。
確かに経済的に厳しいとか、精神的に貧しいとかそういった貧困というのはあるかもしれませんが、少なくとも日本は戦争になっていません。
そんな世の中ですから少しでも笑っていられるように、自分の生き方として今の生き方の中でどれだけ笑っていられるかを考えた方が幸せですよ。」
と言っておられました。
おっしゃる通りです。
自分のことだけ考えていてもいい時代。
戦争をしていたらそれどころではありませんから。
いろいろなことが起きて頭の中をかき回されていると思っているのは、もしかしたら気のせいかもしれません。
ものごとの見方を変えれば、その時々に目くじらを立てるのではなく、何かを期待するのではなく、生き方を自分で選択するということが今の時代はできますからね。
今の時代ならではの事がいろいろ起きますが、前向きでもっと楽しいことを考える方が、今の時代は道が開けるのではないかと自分も思います。
またそうさせてくれる環境も時間もあるんですから幸せです。
嫌なことやネガティブなことというのは、とかく頭の中を支配しがちです。
でもその考え方を見直して、それ以外のことに目を向けたら楽しいことだらけなのではないでしょうか。
※これは特に自分自身に対して言っていることです。
その中で1つ、気がついたことがあります。
言葉の中で何々をしてあげているとか、何々をして差し上げたということがありますが、この言葉に違和感を持ちました。
これは自分が上で相手が下のように聞こえてしまうんです。
自分がこれだけやっているのに、という考えがどこかにあるとこういう言い方になるような気がしました。
そのことに気がついてから、言葉はもっと発する前に丁寧に考えたほうがいいとあらためて思います。
相手が喜んでくれると思ったのにそうでもなかった。
あんなに裏で動いたのに・・・。
この言い方は完全に「自分が○○してやった」という押しつけのおせっかいがあります。
喜んでくれると思ったのは自分のエゴですし、思い上がりだと思いました。
それだけのことをしても相手が喜んでくれなければ、ただの自己満足ですからね。
そういうことを考えていない自分がいたことを大いに笑い、大いに反省しました。
まあ、それに気づけただけでよかったんです。
あとはそういう考え方を直せばいいんですからね。
さあ、今日もいい1日にしよう!