「前もこんなことがあったけど、いつもこうなるんだよなあ。
だから今回も・・・。」
「今年は良いことがあんまりないなあ、後半は毎月葬式があるんだよね。」
これって思考のクセだと思うんですが、どんどん悪い方へ引っ張られていくような気がします。
いえ、人それぞれだから良い悪いではなくて、気を付けたいなと思いました。
前者の「前もこんなことがあった」というのは、そう考えているとその呪縛から抜けられずにアリ地獄に入っていってしまうように思います。
同じようなことがあったとしてもそれはそれとして、何が原因か見たほうがいいと思うんです。
後者の毎月葬式があるからいい年ではないというのは、今までいろいろと楽しいことがあったはずのものまで陰に隠れてしまいます。
実は、自分がまさにそうなんですが、昨年の後半は身内の不幸がいくつか重なりました。
でも、悪い年だったとは思いません。
続くという言い方もありますが、たまたまです。
なぜなら、亡くなった方々につながりはなかったですから。
自分を不幸にしてはいけないと思います。
ひとつひとつの出来事は「点」であって、それをつなぎ合わせるのはそれぞれの「人の思考」です。
上のふたつの例はいずれも自分がそういう思考グセがあった、という話なんです。
何の因果関係もないことを、あるかのように考えて、
「ああ、自分はツイてないなあ。また同じようなことが起きるのかなあ・・・」
そんな風に考えていました。
実際同じようなことは起きました。
では、なぜ起きたのでしょう。
それは自分が”関連している”と勝手につなげたからです。
因果関係はありません。
心理学や脳科学の世界の研究に、運のいい人と悪い人の違いを調べた例があるそうです。
とても興味深いのですが、結論は
「どちらの人にも同じように、同じことが起きている。違っているのは捉え方だった。」
というんです。
よく言われる話に、幸せとはなるものではなくて気づくものだ、というものがあります。
自分は幸せだ、ついてるぞ、といつも思っている人にはその幸せな出来事がみえるということ。
俺はツイてないなあ、またうまくいかなかった、と思っている人には幸せな出来事は見えなくなってしまうということのようです。
なんとなくわかりますよね。
だから幸せだと言ってニコニコしている人にはどんどん楽しいことが入ってきます。
そういうものだと思うんです。
幸せに気づくことのできる人、幸せ探しの達人はいつも笑顔でポジティブなことを言っている。
そういう人のところにはそういう人たちが集まりますから、おのずと楽しい情報が集まります。
そういうことだと思います。
考え方ひとつで世の中の見え方も変わってしまうんです。
自分の思考グセが気になったら、一度立ち止まって考えてみてもいいと思います。
さあ、今日もいい1日にしよう!