新しいお札が出てからもう1ヵ月以上経ちますね。
このお札のデザイン、・・・慣れましたか?
自分はどうも子供銀行券に見えてしまうので、まだ全然慣れません。
過去の紙幣もそうだったのかなあと思い返してみますが、あまりそういう記憶がないんです。
今の新しい千円札はどうも先々代の5千円札に見えてしまうし、1000と印刷されているところも、何かフォントのせいか軽く見えてしまうんですよね。
1万円札も10000という表記が1000と変わらないように見えてしまうのは私だけでしょうか。
今朝、ラジオを聴いていたら、パーソナリティーの方が千円札がどうも重々しいと言っていました。
いっそのこと#千円とか「チョリース」のように書いてあれば、千円だとわかると言っていたのに笑ってしまいました。
千円札の北里先生が新渡戸先生にみえませんか?
そうすると紙幣価値は5千円ですからね。
おそらくこの紙幣が”最後の発行される紙幣”と言われていたように、これからはどんどんデジタルが普及していくために、お札の印刷枚数も減ると言われています。
以前は、聖徳太子や福沢諭吉の肖像が重々しく貨幣の価値を感じたものでしたが、最近はスマホで車を変えてしまう時代になっていますから、お金というものの価値観が少し変わってきているのだと思います。
働かざるもの食うべからず
これは昔から変わらないはずですが、今の時代は働き方そのものも変わっていますから、生活をするという視点でのお金の価値観も変わってきたのかなあと思います。
自分が社会に出た頃は、働くことの大切さだったり、そのこと自体の価値だったり、そういったことを諸先輩や親から教わっていました。
やはり今でも1番大切だと思うのは、人の役に立った分だけ、それが給料となって跳ね返ってくるものなんではないかということです。
役に立てているかどうかで自分を計れ、と。
役に立てていないならもらいが少なくなるのも仕方のないということはないかと思うんですよね。
ですから、よく言われる。宝くじが当たると10人のうち9人は人生が変わってしまうというのもわかる気がします。
もちろんそればかりではないとは思うんですが、いわゆるあぶく銭を手にしてしまうと働いていないお金ですから、手につかないということなのではないでしょうか。
その昔、血液が売れた時代があったそうです。
そして海外ではいまも臓器売買もあるそうです。
決していいことではないですし、許されるべきことではないと思っていますが、これは見方を変えると人の役に立つのだから、そのもの、ことに対価を払うという考え方があるのかもしれません。
許されるものではないと思いますが・・・。
自分の価値を上げていく。
それは人の評価評判もありますが、まずは自分が自分自身の価値を認めてあげるところからだと思いますね。
さあ、今日もいい1日にしよう!