親父がなくなりしばらく経つのですが時々思い出すのは、かっこよかった親父の姿、人から聞いた言葉なんですよね。
登山家だった若い頃「猿」とあだ名がついていたほど、岸壁を素早くのぼったのだとか。
家に古いカラビナが一つありまして、今のものとは全く別物といっていいほど重いんです。
その昔はあれをいくつも持って登ったんでしょうね。
他にもテントが干してあったこともありましたし、くたびれた登山靴もありました。
もっとも、自分が見たのはもう登れなくなってからのことですが。
北アルプスにその名も「不帰の剣」という険しいところがあるのだそうです。
そこを登っていた時に、仲間の人が岩壁の割れ目に打ち込んだハーケンが抜けて落下し、一緒に落ちたのだそう。
それで骨折してしまい、山に登れなくなったそうです。
独身の頃は里山にテントを張り、そこから会社に出社していたといいますから変わり者ですよね。
ただ、登山に明け暮れていたころの話を聞くと真偽はともかく、相当心肺機能は強かったと思われ、それが遺伝していたらいいなあと思っていました。
え?どうなのかって・・・?
はい・・・弟が引き継ぎまして、バケモノのような心肺機能です。
以前は、マウンテンサイクリング in 乗鞍というヒルクライムレースに参加した後、当時勤めていた大阪に大急ぎで帰っていったかと思うと職場のナイターテニス大会に参加して優勝したんですよね。
乗鞍の大会は、スタート地点の標高が1,400mありまして、2,800mの山頂ゴール、走行距離20㎞という大会です。
それだけでも、爆睡できるくらいの疲労度なのですが車の運転を4時間してからテニスをやるという、まったく理解できない体力です。
今は登山ガイドをしていますが、これもまた息も切らさずにどんどん上っていきますからバケモノですね。
母は母で実業団であるスポーツをやっていたので、それはそれで心配は強いんですが・・・。
ごっそり弟に持っていかれた気がします(笑)
親父の記憶といえば、
「諦めるのはカンタン、辞めればいい。その代わりあとで後悔しても遅い」
ということをよく言っていたように思います。
たしかに諦めの悪い男でしたね。
「調べてもわからないことはすぐに聞け」とも言われていました。
弟は素直ななので、ちゃんと聞いていたんです。
自分は歪んでいたので、すぐに聞かなかった・・・その差が大きかったですねえ(笑)
親父にスキーを教えてもらいましたが、大会で優勝したことがあるという腕前で確かにうまかった。
そういう親からスポーツのことはあまり言われなかったんですが、体を動かしていないと気持ち悪いというのは昔からですね。
週末はどこへ行こうか、何をしようか、と毎週考えていたら、年齢を重ねていました。
何かで優勝したり、褒められることはないですが、今やっていることに全力で向かうという気持ちだけは常に持っていたいと思います。
さあ、今日もいい1日にしよう!