「自分はとても仕事ができるという人がいました。
その方は”自分をカリスマ”というほど・・・。
その方が退職されてから、結局すべてのことを指示出しをしていたために残されたイエスマンはバラバラになり組織が立ちいかなくなった。」
こんな話を聞きました。
これが本当だとしたら、戦時中のような組織です。
でも、
自分もこれに似た経験をしたことがあります。
何をしても否定される、うまくいけば自分の手柄にされる。
目が合えば、「だからダメなんだ。」といわれる。
被害妄想かと思いましたが、周りの人からも「なにかしたの?」といわれる始末で・・・。
気に障るようなことは何もしていませんでした。あるいはそう思っているのは自分が鈍いからかもしれません。
そのことから得た教訓は、
小さなコミュニティの中でだけ自分を誇示ししてた人は、
”そのコミュニティが崩壊した時点で人から忘れ去られる”
ということでした。
どんなに仕事ができても、結局は仕事から外れた時にその人の評価は決まると思います。
仕事ができることと人間力があることは別だと思っています。
1人で仕事はできませんからね、いろんな意味で取り巻きになる人たちはいるわけです。
そういうところに、無意識に持論をぶつけると・・・いい目に遭ったことはないですね。
反面、当時の経営TOPからはかわいがってもらいました。
正しいと思ったこと直接言ってダメ出しを受け、それを修正してまたぶつけて、それをやらせてもらえたんですが、それがその他大勢の方々には面白くない。
いろんなものを飛び越えてますからね💦
その飛び越えた役職に自分がつくとき、いろんな声が上がったと聞きました。
正論をふりかざしたわけではなく、もっとどうしたらよくなるかをぶつけていただけなんです。
ある方面から見ると、やり方が気に入らなかった、ということですね。
この一連の出来事から学んだのは、むかし自分が貫いてきたことに立ち返ることでした。
組織の中にあっても、決して徒党を組むことはしない。
孤立してはいけないが迎合しない。
組織で孤立すると物事が回らなくなります。
自分を強くもって、どうすればいいかを徹底的に考えるんです。
必要な知識を得るために勉強しないといけないこともあります。
座学ではなく、人に会って直接聞く勉強。
そうして得たことには説得力があります。
ただ、
決してそれを表に出さない、言わない、ということです。
自分をはかるために、自分を試すために、言わない。
そこでさらに学べばいいんです。
そんな泥臭いことを考えていたら、年月は恐ろしい速さで経っていました。
という話を聞きました。
人生はいろいろですね。
人生のこわいところ、惜しいところは一度しかないことです。
40代のころに「この経験はきっとまたできるに違いない、いや勝ち取るんだ」と思った会社の賞レースがあったのですが、翌年からずいぶん縮小されてしまい、賞を取っても同じ経験はできなくなりました(汗)
人生は一度きり。
その経験はすぐに次に生かすためにどうするか考えていないとチャンスはどんどん逃げていく。
チャンスの神様には前髪しかありませんから、「アッ!」と振り返ったときにつかもうとしてもつかめないんです。
今日は一生分の一日。
そして、この先の人生の時間の中では一番若いとき。
「俺も年を取ったなあ」
なんて言ってはいけません。
死ぬときに後悔すると多くの先人の方々が言っています。
説教じみた話になりましたが、それぞれ諸先輩の方々から聞いた金言です。
さあ、今日もいい1日にしよう!