昨日の朝は、パラパラと雨が降る天気でしたが、日中になると暑いと感じるくらいの陽射しがありました。
ただ、風が強くて珍しく事務所の窓がピューピューとなっていましたね。
朝見かけた大きな花。
本当に大きくて、よくまあこれほど大きい花が咲くものだ、と思います。
花盛りで幸せになりますね。
さて、ふとこんなことを思い出しました。
ずっと前に言われたことなのですが、
「誰もが通る道だからお前も同じように苦労するかもしれないが、いつかよかったと思える日が来るもんだ。」
その当時は、そんなものかなあと思いましたが、いまあらためて思い返してみるとどこか腑に落ちないなあと思いました。
みな同じように通る道・・・。
苦労するという言葉・・・。
こう思うのは理屈っぽいでしょうか。
でも、今の自分がその言葉を言うなら違う言い方をしたほうが伝わるなあと感じます。
「こういう経験はしなくていいから、覚えておいてほしい。同じ道は歩く必要がないから。」
「苦労というのはその人が感じることだから、どう感じるかは自分次第。苦労だと思えば苦労だし、いい経験をしたと思えば経験値が増えたという喜びに変わるよね。」
苦労という言葉を自分では言いたくないんです。
これを決めるのは自分ではなく、まわりだと思っているからです。
もっとも周りから言われても、否定するのですが。
同じ道、というのは歩く必要はないとも思っているんです。
出来れば違う道、違うやり方をしてほしいです。
それでうまくいけば大成功ですからね。
さらに、自分としても新しい方法が覚えられるし、経験値が増えますから。
一生というのは残念ながら一度しかないんです。
それもみな平等に一度だけ。
そこで何を感じ、どんな経験をして、いまに至っているのか。
その過程で、楽をしたり逃げてきた場合は経験が足りないので、話をしていてもつまらないんです。
これは自分が経験豊富だからといっているのではありません。
経験の多い人はいろいろな切り口を持っているので、何かを教えてもらうときには的確で、何をしていいか悪いか、その理由はなぜか、まで事細かに教えてもらうことができます。
そういう方と話していると、自分にはない視点のことを聞けたりして楽しいんですよね。
以前書いたのですが、ある会社の当時専務だった方がそういう方でした。
「君の休みの時間を俺にくれよ、その使い方もったいないから。」
と言われた方です。
その時の光景は忘れません。
それくらいのインパクトがあったのですが、その方は自分よりも10歳年上でしたが、話をするときにとても謙虚で腰が低くて、それでも話の中で譲れないという点についてはスパッと切れ味鋭く、その理由やなぜそう考えたかの経緯まで端的にお話しされました。
この人はどんな経験をしてきたのだろう、ととても興味があったのでよく伺ってはお話しして勉強させていただいたんです。
そういう魅力的な大人を仕事を通じて何人も見てきました。
そういう方に共通しているのはとても謙虚です。
ですが、話していると時々見せるオーラが強いんです。
そういう姿を見ながら、いつか自分もこうなりたいと思ってきました。
プライドはもったほうがいいと思います。
でも、変なプライド、エゴはもたないほうがいいですよね。
成長が止まってしまいます。
自分がやれば絶対にうまくいく、と言われたことがあるのですが、この
「絶対に」
という言葉を自分は言えません。
そこまでの自信がないということもありますがその前に、絶対はない、と思っているからです。
これだけは言えないんですよね。
今の時代は、昨日の常識が今日の非常識になる時代です。
コンピュータに向かってキーワードを入力すると、AIが文章を考えてくれる時代です。
絶対に、ではなく、いま最善だと思う方法はこれ、でしょうかね。
常に謙虚でなければ新しいことは教えてもらえないし、自分の目にも入ってこないと思います。
さらにいえば、新しくて斬新で今吸収したほうがいいと思うことほど、なんとなく抵抗があって取り入れづらい、ということってありませんか?
そういうことほど顔を背けるのではなく、頭を真っ白にして向き合うことで新しい発見があると思います。
自分の場合は割とそういうことが多いです。
向き合うのがイヤなこと、けっこう多いですけどね。
さあ、今日もいい1日にしよう!