今日も絶好調!

自分の常識は本当に常識か。

自分の常識を疑う、というようなことを過去に何度か書いていますがこの4ヶ月ほどの間にいろんなことを知る機会をもらいました。
自分は半世紀生きてきたけれど、全く知らない人生がある、自分では絶対にしないようなことをする人がいる、などということを知りました。

自分も聖人君子ではないですし、人を傷つけてしまったこともあります。
ただ、自分では理解できないようなことが世の中では日常起きているんだと知り驚きました。
その人たちのことについていろいろ考えるのではなく、自分の視野、思考をもっと柔らかくしないといけないとわかったんです。
このことは本当に大きな気づきです。

生まれてきていろいろな体験や経験をするわけですが、その人を取り巻く環境というのは人それぞれですよね。
ただ、それによって”自分”はつくられていきます。
その他にも、本を読んだり、人の話を聞いたりすることでも自分が大きく影響を受けることはあります。
その人なりの、”じぶん”です。
ここには正しいとか違うとかはないように思いました。
それを判断するのは他人ですから。
そう考えると、自分も周りから理解されない言動があるかもしれないと思い・・・ふと考えたんです。

ひとつひとつの言動に責任を持ちなさいと言われてきたけど、今できているのか?

と。
とかく、いろいろなことを早く早くと回してきた性格が災いして、早合点してしまったり、一拍おいて考えてみればいいものを思ったまま口に出して失敗したこと、など毎日、今でも「言わなきゃよかった」ことが浮かんできます。
そういうことを減らすためにどうすればいいでしょうか。
おそらく自分の場合は、

頭で考えるのではなく一旦、気持ち、心で考えてみる、

ということを意識すると変われるように思いました。
感性の鋭い、頭の回転の速い人であれば、パパっと判断できると思うのですが、自分の場合はなかなかそうはできないんです。
嫌なことを考えないとか、傷つけてくる人とは距離を置くなど最低限すべきことでさえ、思うようにならないことはあります。

少し俯瞰して物事を見る。
一度あれやこれやと考えるのもやめて、冷静に何が起きているのかを考えないで見てみる。

これだけで、どっぷりと入り込んでいた頭が冷静になるように思います。
そうすることで自分の常識感をもう一度疑ってみて、判断軸を整えることができると思います。

先日も頭で考えて失敗しました。
自分の嫌なことをされるとつい黙る、クセがついています。
その時考えるのは、そのことの背景なんです。
なぜこんなことを言うのだろう、何を言いたいのだろう・・・と。
先方は何の悪気もなく、普通の会話をしている、はずなんですが、単純に自分の何かに触れて嫌だなと思ったんですよね。
黙るのではなく、その時になぜそんな話をするのか、を聞けばいいですし話題を変えれば済むことです。
そういうところの不器用さがイヤなんですよね。
直さなければ・・・。

さあ、今日もいい1日にしよう!

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