今日も絶好調!

ごみを拾うということ。

最近、大谷翔平さんがごみを拾う話とかごみの話を目にすることが増えた気がします。
自分が子供のころは(ずいぶん昔ですが)、車の窓からポイ捨てとか川に投げ込みとか結構見かけました。
最近はさすがに減りましたね。
それでも、ごみが捨てられているのを見ると悲しくなります。

先日、あるお店で見かけた光景です。
お店の方がテキパキと動いている中で、サッとごみを拾ったんです。
レシートか何かだと思います。
動きが自然で表情ひとつ変えずに拾っていたんですね。
それを見ていて、プロだなあと思いました。
お店をきれいにすることなので見方によってはあたりまえかもしれません。
でも、身のこなしを見ていてそう思いました。

自分はランニングをしますが、けっこう外にはごみが落ちていますね。
マスクだけは困るんですが、それ以外は拾うようにしています。
もちろん、全部は拾えないので気になったものだけ。
そのときに自分はどう思っているかですが、

これは、ごみかな?落とし物かな?

なんです。
どう考えるかで自分の気持ちが全く違うんですよね。
自分も記憶にあるのですが、アメを食べようと袋を開けて個袋を持っていたら風で飛んでいってしまった。
拾えない場所にいってしまったのでどうしようもなかったんです。
だから、ごみを捨てちゃいけない、なんて言えないんです。

そんなこともあったので、なんとなくごみを拾うときは

「誰かが落としちゃったのかな」

と思ってサッと拾っています。
ごみではなく、落とし物なんです。
見方によって全く違う気持ちになりますから不思議ですよね。
もうひとつ思っているのは、”見つけたときの気持ち”。
自分の気持ちです。

ごみを拾うときにこんなことを考えています。
①ラッキー!これできれいになる。(拾った後でその場所を見てニコニコしてしまいます)
→気持ちいいですよね?そこを通る人は嫌な思いをしなくて済みます。
 お店なら、そのごみを拾った後に通ったお客様は”きれいなお店だなあ”と思いますよね。

②きれいになると気持ちいいなあ。
→なんか得した気分になります。気持ちがよくなります。

①も②も”自分”がすっきりするんです。

でも、こんなことを言われたことがありました。

「なんで拾わないかな、どうして気づかないの?どこみて掃除してんだよ。」

まあ、詳しくは書きませんが、会社で言われたんです。
こう言われたときどう感じるでしょうか。
私の気持ちは、「なんだよ!」という不満がたまり、あんないい方しなくたっていいのに、という愚痴になりました。
もっといけないなと思ったのは、そこにいた数人の気持ちが同じようにマイナスになっていました。

だから、私はそういうふうに思ってもダメだし、声に出すのはもっとダメだと思います。
もちろん、これは人の感じ方ですから私の言っていることを「きれいごと」と取る向きもあるかもしれません。

でもその言い方で声に出されたら、それを聞いていた人はそのあとから思います。
その人に対してのアンテナが高くなるんです。
これはこわいんですよ。
たまたまその人がゴミを拾わなかった時や掃除をしなかったときに

「言ったくせに拾わないじゃん!」

「あれだけのこと言ったのに、やらないじゃん」と思うわけです。
そうしたら、その空間は良くない空気になりますよね。
それを言った人のことは信用しなくなります。
だから、そんな言い方ではなくて”皆が少しだけ意識できるようにするだけ”で事務所の中やお店は変わるはずなんです。

変化というのは急には起きないので、継続していることが大切ですよね。
会社の場合は強制的に変化を起こすこともできるんですが、これだと継続できないのでやはり意識の変化で変えるしかないんです。

「そこを通る人が気持ちよく感じるにはどうしたらいい?」

「お店にゴミが落ちてたら、お客様はどう思うかな?」
※お店はお客様との出会いが一期一会ですから、気を配ることは大切ですが焦っても変わらないですよね。

お店の場合は、お客様が必ず見ている。
それは、”拾うところ”ではなくて、”きれいなお店”として。

この話の大切なことは、まず第一に忘れてはいけないこととして、”人は完璧じゃない”ということなんです。
だから、みんなの意識を高めればいいですよね。
”少しだけ”でずいぶん変わりますから。

実は、自分も拾わない、拾えないときがありますが罪悪感はもたないようにしています。
だから、変な話ですがゴミを拾う時はまわりに気づかれないようにしています。

外でごみを拾うとき、自分が気持ち良ければそれだけでいいんです。それ以上の感情はありません。
なぜなら、拾ったのは”落とし物”だから。
ただそれだけなんですよね。

さあ、今日もいい1日にしよう!

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