「お役に立てれば幸いです」
仕事をしているとこんな言い回しをすることがあります。
もちろん本心ですし、何かできることはないか、自分で探したりもします。
今日こんなことがありました。
今年その方の義理のお母さまが亡くなられました。
新盆なのでお線香を届けに行ったのですが、たいそう喜ばれまして、というのも自分の家のことで頭がいっぱいだったとのこと。
自分の周りにも新盆の方があるので出向いていかなきゃと言っていました。
「気付くことができてよかった、不義理をしてしまうところだった、ありがとう」とまで言われました。
自分はただ自分の気持ちを届けただけですが、お礼を言われてしまいかえって恐縮した次第です。
このことで役に立ったとは思っていません。
でも、もしこのことで不義理を避けられたなら”よかった”と思います。
役に立つという言葉は何のためらいもなく毎日使うのですが、この解釈をするのは誰でしょうか?
自分でしょうか、相手の方でしょうか。
この解釈は相手がするものだと思うのです。
自分が「このことで役に立てたなあ」と思うのは自分都合ですよね。
相手の方がどう考えるかしかないと思いますよね。
これを自分都合で考え始めるとおかしなことが起きます。
”役に立てた押し売り”みたいな。
判断するのは相手ですから、役に立つということではなく、気づいたことはいろいろやってみることだと思います。
そこから新しいこと、気づきが出てきて喜んでいただけることにつながっていけばいいですよね。
いま目の前にあることに精一杯取り組み続けることが大切で、それが結果として役に立つことにつながっていくように思います。
さあ、今日もきっといい1日になる!