今日も絶好調!

身内との別れ。

昨日、突然訃報が入ってきました。
叔父が5月28日に亡くなった、と。
横浜にいる叔父で、あまり関わり合いはなかったけれど、物静かな方で元気でいるものだとばかり思っていました。
調子が悪いからと近くの病院に行ったら、大きな病院へ行って調べてもらうよう勧められたのが5月初旬。
14日に検査結果を聞き、肺がんのステージ3。
しかし、本人は自覚症状がなかったという。
ただ、なんとなく調子が悪かった。
検査後も普通に生活していたところが急変し、そのまま亡くなったらしい。
肺がんと聞くと痛みと苦しさで見ていられないほどだと聞くが、そういうことはなかったらしい。

このところ毎日聞くのは新型コロナの話ばかりで、亡くなる人もほぼ毎日います。
でも、人はそんなに簡単には亡くならないと思っているんです。
冥福を祈るばかりです。

自分も人生の折り返しを過ぎていますが、新聞のお悔やみ欄には最近同年代の人が結構載っているので、結構ドキッとします。そんな年回りになったんですね。
自分の周りの人たちはみなタフで、元気すぎるほど元気で、そんなニュースは”我関せず”という感じ。
自分もそんな感じで、どうやって楽に速くトライアスロンを完走するか考えています。
(大会は軒並み中止ですが、来る時に備えてます)

仕事をしていて仲間にも言うんですが、気が付いたらあの先輩がもう定年だよ、と。
つまり、自分も気づけばそうなるということを伝えました。
その時になってから「何をしようかな」では遅すぎます。
今からプランを練り、その時のために備える。
そしてダイナミックに生きることが大切ではないだろうか。

会社という組織の中にいると、違和感を感じることも多々あります。
だったら何がしたいのか。
「で、ほんとはどうしたいの?」(というタイトルの本がありますね)

定年され、すでに会社にいない先輩からは「50過ぎたら3+3+3+1で考えるんだぞ」と教わりました。
3年単位で目標を定め、最後の1年で行く方向を明確にして動き始めるんだと。
そうすれば、次の人生(という言い方は好きではないけれど)に向けた動きができていくはずだと言われました。
今のままその日暮しをしていたら、あっという間にその日が来て公開することは容易に想像できます。
そんな人生ではあまりにつまらない。
フリーランスで勝負するくらいの気概がなくては、この先20年とか生きていかれないと思う。
自分の人生、もっと勝負しなくては楽しくない。

さあ、今日もきっといい1日になる!

-今日も絶好調!