人というのは何歳になっても学ぶことが多いなあとつくづく感じます。
また、年齢に関係なく教えてもらえることはたくさんあるとも感じます。
特に正面からぶつかって議論したり、叱られたりすると、いったん立ち止まって考えます。
さらに短納期でかなり思考を要求されるようなものは頭をフル回転させます。
それでも資料の出来が悪かったり、根拠があいまいなものは容赦なくお叱りをいただきます。
こういったことの積み重ねがあって初めて人は成長するのでしょうね。
逃げたら逃げたなりの人生で、ぶつかったらそれなりに成長もするのでしょう。
ただ、ひとつ。
何年かかっても理解できないこともあります。
そういう場合は忘れるようにします。
なぜって?
その指摘が間違っているかもしれないですから。
理不尽なものは忘れるようにしています。
高校生が「”正しい”って何でしょう?」とテレビで言っていました。
これは難しいです。
こういう話はけっこうありますよね。
尺度(はかり)もみな違います。
自分の場合なら、正しいかどうかより楽しかったかどうか、ですね。
楽しむことが第一だと思います。
収入がなければ、何とかして稼ぐしかないですね。
その時、どうすれば楽しいかの視点で考えていく。
少々きつくても楽しければ相殺されますからね。
また、厳しいことであればそれを乗り越えていけば、クリアできるから楽しくなる、とも言えます。
厳しいこと(内容にもよりますが)は、自分の選択の幅や考え方の視野も拡げてくれます。
ちょっと似てますがこんなこともありました。
「あなたの常識は、私の常識ではない」
これには、とても混乱しました。
確かにそういう考え方もあるかもしれないけど、では何を変えていきましょうか。
結局、折り合いがつきませんでした。
この場合は、はっきり言われてしまったので、話し合って妥協点を探すしかないんですがきつかったですねえ。
話がそれました。
今起きていることをよく考えて、精一杯向き合った先にはきっといいことがあると信じてやってみると、案外簡単だったりしますよね。その時の思考は、
「大丈夫、自分ならきっとできる。」
という自己暗示だと思います。
きっとできますからね。
できない課題は下りてきません。
さあ、今日もきっといい1日になる!