朝礼でこんなことを同僚が話していました。
「お客様の事務所にこんな張り紙がありました。
じんざいには4種類あって、人材、人財、人在、人罪。
私はどれにあたるのかなあと考えていました。
会社にとって財、宝でありたい」と。
素晴らしいですよね。
人財、つまり人は宝です。
これは何も疑う余地がありません。
仕事ができるとか勉強ができるとか、それで人の価値は決まりません。
得手不得手があり、これを任せたら抜群だ、とか彼は地理についてそこの歴史まで知っている、とか。
それって素晴らしいこと。
何か1つ、趣味でもなんでも、”自分はこれなら知識がある”というものを持っていればいい。
その1つは自分が落ち込んだ時に、きっと立ち直るヒントをくれるはず。
先日、サイクルフォトグラファーの砂田さん(ず~っと海外で自転車レースを追いかけていたプロの写真家)がFacebookに書いていた記事に日本国内での出来事を載せていました。
外国籍の人が英語で日本人に何か聞いていた。
だが、それが伝わらなくて苦労していた。
その時に、「きっとあの感じはイタリア人だな。」とわかったそうでイタリア語で話しかけてみた。
すると案の定、そうで「なんで日本に流ちょうにイタリア語を話すおじさんがいるんだ」と思ったらしい。
神に見えるでしょうね。
それを読んだとき感じたのは、必要に迫られて覚えたものでも人の役に立ったり、世の中の役に立ったりするということ。得意なものでなくとも、これならできるというものがあればいい。
でも、大抵の場合、自分ができることは人もできると思い込んでいる。
実は、あまりそういうことのできる人がいないこともありますよね。
仕事だけが人生ではないし、仕事の面でどんなことを言われたとしても、その人の人生は否定されないということ。
今はコロナで厳しいですが、これが落ちついてきたら仕事と全く関係のないものに挑戦したり、今やっているものをさらに深くやってみたい。
仕事は仕事です。
自分磨きに使えばいい。
でも、いつか今と違う仕事をするようになる。
その時に困らないように人財でありたいなあ。
さあ、明日もきっといい1日になる!