変に生真面目な人、どう思います?
物事に正面から取り組むけど、理屈は通っているように見えて穴も少しあったりして、ものすごく考えているかというとそうでもないから、なんなんだ?という感じの人。
面白みがないですよね。
はい、私です。
何ていうんですかねえ、遊びがないというか、変に生真面目。
以前書きましたが、真面目にはいくつか種類があって、非真面目、不真面目、クソ真面目、そして生真面目。
一番いいのは非真面目なんだそうで、真面目なんだけど、思考に余裕があっていろいろアイデアも出せる人。
そういう懐の広い人、いますよね。
自分はそういうところがないからなあ。
こうだと思ったらそっちに行ってしまう。
一旦考えてから行動すればいいんですが。
でも、面白そうだと思ってすぐに飛びつくかといえば、そういうところは反対に考えてしまって飛び込めない。
「面倒なやつだなあ・・・」
以前いろいろな諸先輩に言われました。
その真面目さは危ない、と。
この意味はわかっているんです。
ともすると、追い込んでしまう。相手の逃げ場をなくしてしまうんです。
最近そういう自分に飽きてきて、なにか違う発想に行きたいなあと思います。
高校の頃(35年くらい前の大昔ですが・・・)、そのころはツッパリ全盛期。
”今日から俺は”という漫画が流行って、実写でもやってましたが、まさにあれが普通でした。
ただ、自分は目をつけられても、徒党を組むのは嫌いだった。
集団で粋がっているのは嫌いだったんですね。
そのときから、変なところが真面目だったんですかね。
かといって授業は1時間目の途中から入っていって、3時間目くらいに腹が減って早弁して、授業の途中でいなくなる、みたいな。
そういうところは、真面目じゃないんです。
こうやって書くと面倒なやつですね。
ただ、そのころ同じような奴らがいて、喧嘩もしましたが、今たまに会うと本当に真面目に仕事の話をします。
世の中がどうとか、こういうビジネスが行けるんじゃないかとか。
そういう話をする時、高校の頃普通にやっていた連中とは逆に話が合わない。
彼らのほうがもっと面白いこといいそうなもんですが・・・。
不思議なもんです。
自分は(認めたくはないですが)、生真面目だということは知っているので、変に冒険もしない。
いや、これは相当いろいろ損していると思ってます。
それでも、それを生かして、遊びの部分を作ることができれば、定年になる頃には面白い人間になれるかな。
「人生50からが面白い」といいますが、本当にそうだと思ってます。
深みのある人になりたいものです。
今は、すべて正面から受け止めるから重い。
これをいなしながら、話8割位に聞きながら物事に取り組めれば、余裕もできるんでしょうね。思い込みが強すぎて・・・。
ギアを入れ直してみることにします(*^^*)
さあ、明日もきっといい1日になる!
※これをもし20代、30代の人たちが読んでいたら「なんなんだ?」と思うかもしれませんね。でも、何歳になっても悩むものですよ。だから人は面白いんでしょうね。