ここ1年でこの言葉をこれ程感じたことはありません。
苦手なことから逃げてしまう人。向かっていける人。立ち往生する人。
自分は全部、自身が体感しました。自分自身のことでも悩みましたが、まわりでも起きて、自分はこの1年で何度も頭を下げました。
それは良いんですが最大の問題は、失った信頼が戻って来ないということですね。
自分が目の前で起きたことを、その場しのぎで繕おうとすると、結果は良い方へ行きません。もちろん全てではないですが。
反対に少しじっくり、でも素早く考えて、自分の意志として”これなら大丈夫”と判断しているとうまくいくことが多いように感じます。
違いは何でしょうか。
おそらくどちらも時間的にはあまり変わらないでしょう。
でも、結果は正反対になる。
その違いは、過去に自分がやってきたことを糧として判断し、解を出しているからでしょう。
その人に「なぜそういう判断をしたの?」と聞くと、とても良くわかります。
過去に絶対同じようなことがあったはずなのに自分で解決していないんです。
自分の軸ができていないんですよね。過程で教えてもらったって良いんです。
結果がどうだったかは、二の次です。
難しい判断になればなるほど、過去の経験が生きてきます。
時に自分が判断せず、他のメンバーに任せることも組織としては大切です。
その人の軸を作るということですよね。
自分も「自分で解決しろ」、そう指示されて、踏ん張ってみた時がありましたが、結局突破されました。
「お前では話にならない」と。
これって、きついですよね。
でも、自分の中では割り切っていました。ここまで言ってもだめなら、上に任せよう、お願いしよう、と。上からは、けちょんけちょんに言われましたけど。
でも、凹んでいる時間はありません。
自分を信じて、自分なりの答えを出してダメなら仕方ないと考えています。
判断する自分も人ですし、無理を言ってくる相手も人です。
そこは何も違わない。
あるのは、その人の立ち位置と要求であって、何が何でも通そうと思えば相手は手段は選びません。
”自分を信じて、自分として答えを出す”
失敗しても命までは取られませんから。
そもそも、人生一度きりです。恥をかいても、辛い目にあっても、最後に認めてあげられるのは自分自身。
これ、綺麗事のように聞こえますよね。
でも、本当に厳しい状況に陥った時、この考えがないと一発で精神をやられます。
ずっと足に鉛の玉をつけて歩くようなもんです。
”人生一度きり”なのに、です。もったいない。
精神をやられたことのある人間は、とかく逃げたりします。私も過去は逃げました。
でも、気づいたんです。
逃げるのではなく、バトンを誰かに託せばいい、と。
逃げるから、いつまでも言われるんですよね。”逃げ”ですから”追われ”ます。
堅い話になってしまいました。悩んでいる人がいたら、こんな風に考えてほしいなあと思います。サラリーマンなら組織にいますから、バトンは渡しやすいはず。
だったら、変なプライドはさっさと捨てて周りを頼ればいい。そうすればそこから気づきや学びがあると思うんです。
”逃げず”に”学ぶ”。
自分に正対して生きていきたい。どんなに生きても、あと30年はない。
でも、あと30年もあるんです。
精一杯楽しまなくちゃ!!
さあ、明日もきっといい1日になる!