最近いろいろな場面でこの”経験”に触れるんです。
趣味の世界だと、自分はロードバイクとマウンテンバイクを持っていますが、マウンテンバイクはここ何年も乗っていません。
もったいないのは承知しているんですが、何度か痛い目にあったり、かなり苦しかったので挫折したんですよね。
でも、最近言われます。
「あんなに楽しいのに。」
「あれは、他の種目に生きるからやったほうが良いですよ。」と。
経験が浅いうちは何でも辛い。
辛いから入り口でやめてしまうんですよね。
「たしかにそうだよなあ」と思いながら、でもその道に踏み込むことに躊躇している自分がいたので、そんなとき自分は強制力を働かせるために投資をします。
先日、マウンテン用の靴を買いまして、これでやらない理由がなくなりました。
年内に何度か山へ行って、泥遊びをしてこよう。
仕事の面だといろいろ任せてもらったおかげで経験値は多いんです。
20年ほどコンピュータを売る仕事をしていまして、うちの会社はメインが違うもののメーカーなので、コンピュータというと当時はそれだけで「帰れ」と言われたくらい。
Windowsなどない時代に売っていたのが、全てお客様の要望通りに作るソフトウェアで動いていたオフコン。(知らないですよね)
これはお客様と話をしながら、どんな仕事をさせるのかを決めるので、時間もかかるし、価格もそれなり。カタログなんてハードのものしかない。
お客様も新卒の若造に任せてくれるはずがなく、最初は苦しかった。なにせ当時500万以上しましたから。納期は3ヶ月以上だし。
それでも自分は運がいい方なので、最初の年に結構売りまして、全国表彰の場に行かせてもらえたんです。
これって経験だなあと、今になって本当に有り難いことだと感じています。
どんな業種のどんな業務の話でも、商談をする上では、まあ困ることはないです。当時はわからなくて、かなり恥も汗もかきましたけど。
「買ってくれなくていいですから、建設業のことを教えて下さい」と建設業の社長に頼み込んだりしてました。
その後は中小企業から大手企業まで、また県内はすべての地区で営業をやったので県内の裏道も知っています。これは自慢でもなんでもありません。
大切なのはここから。
どれもこれもその経験をいろいろな形でアウトプットしなければ、何の役にも立たないんです。
趣味ならば、ただいつものようにいつものルートを走っていたら、視野は広くならないし、体もそれに慣れて決して強くはならないんです。
では、それをどうするか。
自分自身のことなら、何かを変化させようとか、新しいことを始めようとしたら、自分のバイアスを外して少々苦しいことをしない限り進歩しないということ。
それは今まで経験してきてわかったこと。
でも、人は楽をしたがり、現状維持(=衰退)を望むんですよねえ・・・。
生き急いでいると思われるくらいで、実は丁度いいのかもしれませんね。
53年生きてきて、あの時あれをやっておいてよかった、とかもう少しこうしておけばよかった、と思うことはたくさんあるんです。
でもそれは、結果であり元に戻ることはない。
だから、アウトプットする。
自分が諸先輩から言われてきたように伝えていくしかない、と思います。
もっとも言われている方は「何だよ偉そうに」と思ったり、いろいろな感情を呼ぶことも知ってはいますが。特に自分のような跳ねっ返りはなおさら。
まあ、それはそれだな。
押し付けることはしません、こういうときはこうすると良いかな、くらい。
なぜって、時代は日々変化していますから。昔話ならしちゃいけないんです。
さあ、明日もきっといい1日になる!