この言葉にはいろんな思いがあります。
一番最初に感じたのは友達の家。
その家は旅館で、ある時期自分の家がごとく、入り浸っていました。
ある時早朝に玄関へ行くと、親父さんがお客様の靴を出して、一足づつ丁寧に磨いている。なぜそうしているのか聞くと「今日出かけたら、この靴でいろいろな人に会う。そのときにこの靴を履いている人が恥ずかしくないようにね。もう一つはいい仕事ができるように願っている。そしたらまた来てくれるかもしれないだろ。」と。たしかにその靴の主は、その旅館の常連客だった。出来すぎだと思うかもしれないけど実話です。
商談した会社の常務の話。
初対面ながら、とても熱心に話を聞いてくれて、次の約束までしていたんです。
でも2度とその方とお会いすることはありませんでした。3日ほどあとの新聞のお悔やみ欄に名前がありました。聞けば心筋梗塞か何かで、急逝されたとのこと。人はわからないものですよね。
同姓同名の人の話。
自分が1年半前に現在の勤務地へ異動になり、お客様先を訪問したときのこと。先方に名刺を差し出したら「えっ?ちょっとまっててください」と言って部屋を出ていってしまいました。少しすると自分よりも年配の方が来て名刺を出されました。
「えっ?同姓同名・・・ですか?」
ちょっと変わった名前なので、一生同姓同名の人には会うことがないと思っていました。仕事で関わることはなかったのですが、またお会いしたいと思っていました。でも、最近定年になられて会社を去られたそうです。
1年半にここへ来て、その会社へ行かなければ絶対にお会いすることはありませんでした。
また会えると思ったら、なかなか会えない話。
同級生ですが、同じ市内に居ていつでも会えるとお互いに思っています。
でも、いつもタイミングが悪くて会えない。そんなことってありませんか?
その他にも、会えると思っていたらその会社を辞めてしまったために会えない人とか。
いろいろなことが起きますが、今日の今この瞬間瞬間はもう返ってこないんですよね。
だから、少しでも今を大切に思いながら生きたほうがきっといいことがある、というかそもそもこの瞬間がいいんです。
自分にはものすごく辛くて精神的にもダメージが大きくて、毎日が嫌でたまらない時期が過去に2回ありました。その時のことは思い出したくないけれど、でもきちんとその時のことを思い出し、あらためて向き合ってみると、あのときの経験が今の自分を作ったことがわかります。
良くも悪くもそれが経験。必要のない経験はないはずです。
仏教で言うところのこれが修行であれば、何かに気付かせるためのその時期だったはず。だからといって神妙になるようなことはしません。
自分を追い込むことは決して良いことではない。まして人を追い込んではいけない。
だから、今こうして一期一会の不思議を思い浮かべながら、大切だなあと感じながら日々を過ごしているんです。
この夏にあって、多くの思い出を作ってくれた仲間。来年も同じ時間を共有したいと思いながら握手して別れた。これが大切なんです。
いい仲間と過ごした瞬間、苦しくてもがきながら、切磋琢磨した瞬間、それらが全て一期一会ですから。
さあ、明日もきっといい1日になる!