1つの自分の基準。
年齢が上がると若いときは聞けたことが聞けなくなるということがある。
20代なら「わからないので教えて下さい」と言えたことも、40代になって
同じことを言ったら信用されなくなってしまうということは往々にしてある。
また、話を的確に理解しないと、そのダメージはかなり大きい。
会議等での発言もそうだ。
一言の重みは間違いなく上がっている。
会社にいると、ある人に10年前に直すように言ったクセをまだ同じように言っ
ている人がいる。
(例えば、人の話にかぶせるように「あ、はいはい、それはこうですね」という
クセ。相手は話してくれなくなる)
流石にその時は個別に呼んで「まずいよ」と話すが治るかはわからない。
自分の基準、価値観に「年相応」というものがある。
例えば、30歳の大人はどんなことを考えるのだろう。
自分の意見をもって理路整然と話ができる。
会社でもプライベートでも、後輩からも先輩からも相談されたりアドバイスを
求められたりする。そんなイメージだろうか。
では、50歳はどうだろう?
会社なら様々な業界のことをよく理解していて、自分がこれから目指すビジョン
を明確に持っていて、どんな相手であれ自分の考えを明確に話ができる。
相手の話も幅広く聴くことができる。
最終的にはお互いの理解を深めることができる。そんな人だろうか。
どうだろう。
あきらかに年齢が違えば求められることも違うと思う。
だから、自分は年相応に生きているか、を時々点検するようにしている。
ただ、これが難しい場面が一つある。
・・・家族。
家族は、社会とは違った環境の中で動いている。
もっとも1人の大人として、また親として本来の素の姿なのだが。
基準は年相応とかよりも、どれだけ寄り添って考えられるか、身近な存在で
いられるか、になる。
どう考えてみても、自分の最も弱いところだと認識している。
さあ、明日もきっといい1日になる!