今日も絶好調!

「性悪説」が嫌いなわけ。

ある時、性悪説で生きていた自分と決別した。
いや、完全に決別できているかといえば、・・・わからない。
でも、性善説で生きた方が精神的には穏やかでいられる。
この思考でメンバーを見るときの注意点はいくつかあるが、その1つは自分が話したことを”100%理解した”と考えることの危うさだ。
これは時間をおいて、メンバーに聞いてみればわかる。結構がっかりするけど。

”理解した”ことが”できている”かどうか目を離さないということが大切だと思う。

さて、ここからが大切で、”理解していたのに、できなかった”とすれば、「何がいけなかったのか、じゃあどうするか」を聞く。
これを明確に答えることができればプラスに働く。
※この時、「自分の伝え方に問題がなかったか」という思考は常に持つ。
 これも苦い経験があるので、別の時に書きたい。

以前のマネジメントにありがちな「なんでやらないんだ、どうしてできないんだ」といわれたら、言われた人は思考が止まる。表情もこわばる。
「そんなこと、いまどき言う人いないでしょ」って? ・・・本当???

今の20代は、特に叱られ慣れていない。
「なぜ?どうして?」と言ったところで、まず期待した成果は上がらないだろう。

自分が入社した頃は、今年の新人は「新人類」だと言われた。
自分が新人類だとすれば、今の若者たちは・・・なんだろう?
この「なんだろう」という思考こそが自分の中でできた「壁」なのだろう。
ただ、自分はその壁を崩す方法を知っている。

彼らは”何を考えてるんだかわからない”とは思わない。
そう思ってしまった瞬間に彼らを理解する思考にはならない。
コミュニケーションを取りたがらない部下とどうやってコミュニケーションをとるか。
彼らは、叱られることにも褒められることにも慣れていない。
だから、彼らと向き合うときは、いいところは「大絶賛!」だ。
褒めながら、「何が良かったのか」、この良かったことを共有する。
だって、良かったことですよ!
これが大切なのではないだろうか。

さて、性悪説で叩かれてきた人というのは、自分の発想に乏しい傾向がある。
そりゃそうだ。自分の考え、意見はいつも否定され「だから、だめなんだ」というレッテルを貼られる。
だから自分は、自分がされて嫌な思いをしたことはしないと決めている。

人は性悪説では育たない。
性悪説でダメ出しをするのは、自分を正当化したい「エゴ」がいるから。
だめな人なんていない、ダメな上司がいるだけだ、といつも戒めている。
※んっ、これは誰かの受け売りですね。でも本当にそう思う。
 切り捨てたところで、2・6・2で、又出てくる。
 イエスマン、増やしてなにかいいことある?

さあ、明日もきっといい1日になる!

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